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[No.676] 新派 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/25(Fri) 06:03
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新派(しんぱ)は、1888年(明治21年)に始まった日本の演劇の一派。

1888年(明治21年)12月、角藤定憲が大阪で「大日本壮士改良演劇会」を起こして不平士族の窮状を訴えた壮士芝居を始めた。新派ではこれをもってその発祥とみなしている。

1891年(明治24年)3月には川上音二郎が堺で「改良演劇」を謳った一座を興して書生芝居を始めた。
壮士劇はすぐに廃れたが、自由民権運動の広告塔のような役割を果たした書生劇の方は大評判をとって、やがてこれが新派の骨格の一部として成長してゆく。
同年11月には伊井蓉峰が浅草で「男女合同改良演劇」を謳った済美館を旗揚げしたが、これが純粋に芸術を志向する演劇の嚆矢となった。
1892年(明治25年)7月には山口定雄の一座が浅草に登場したが、ここで育成されたのが河合武雄や喜多村緑郎らの女形だった。

1896年(明治29年)4月、伊井はあらためて伊井蓉峰一座を組織し、生涯その座長であり続けた。
同年9月には、川上一座を脱退した高田実らと京阪で公演中の喜多村緑郎らが大阪で合流して成美団(せいびだん)を結成した。
彼らは以降、尾崎紅葉の「金色夜叉」、徳富蘆花の「不如帰」、菊池幽芳の「己が罪」、泉鏡花の「滝の白糸」などといった、今日新派の古典に数えられている演目を次々に上演していった。
演劇評論家、伊原清々園の観察によると、このころの新派は、歌舞伎に比べ、ほとんどが高等学校以上の知的レベルの高い観客に支えられていた。

こうして新派は離合集散繰をり返しながら人気を高めていった。
新派は歌舞伎の牙城歌舞伎座でも興行し、また歌舞伎役者が新派の演目に出演することもあった。
歌舞伎が「旧劇」「旧派」であるのに対する呼称として「新派」と呼び分ける習いも1900年代初め(明治30年代)には定着した。

1904年(明治37年)から翌年にかけ、大阪から戻った高田実、喜多村緑郎らが本郷座を本拠に一座を組み、川上一座・伊井一座・本郷座一党が鼎立した。合同公演もした。
本郷座では、佐藤紅緑が1906年(明治39年)から1914年(大正3年)まで、座付作者を勤めた。

  以後は長いので省略します。
もっと知りたい方は、こちらをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B4%BE

やがて太平洋戦争が始まり、その最中の1942年(昭和17年)に河合が死去すると、「本流新派」と「井上演劇道場」は解散するに至った。
ひとり新生新派が戦後間もない1945年(昭和20年)10月から興行を再開し、これに喜多村や井上も参加した。
1949年(昭和20年)1月に一度分裂して乱れるが、花柳がこれを収拾して1951年(昭和26年)12月に単一の劇団に合同した。これが今日に連なる劇団新派(げきだん しんぱ)である。

60年を超えた今日も、二代目水谷八重子、波乃久里子、安井昌二、英太郎、紅貴代らが、新派を支えている。
また歌舞伎界との交流も盛んで、当代では五代目坂東玉三郎、十五代目片岡仁左衛門、十八代目中村勘三郎らが時折新派の舞台に出演している。
他の劇団出身者とも交流し、著名な俳優たちが客演参加している。

主な演目作品と原作者

『婦系図』   泉鏡花
『明治一代女』 川口松太郎
『鶴八鶴次郎』 川口松太郎
『滝の白糸』  泉鏡花
『残菊物語』  村松梢風
『風流深川唄』 川口松太郎
『不如帰』   徳富蘆花
『日本橋』   泉鏡花
『二筋道』   瀬戸英一
『明日の幸福』 中野実
『金色夜叉』  尾崎紅葉
『月夜鴉』   川口松太郎
『皇女和の宮』 川口松太郎
『遊女夕霧』  川口松太郎
『十三夜』   樋口一葉
『兄いもうと』 室生犀星
『己が罪』   菊池幽芳
『浪花女』   溝口健二
『女将』    北條秀司

歌舞伎の子孫みたいな新派には、ところどころ歌舞伎の伝統の片鱗があるという。

私の記憶では
10月3日のラジオ番組
 昭和歌謡ショー「歌舞伎から生まれた名曲」(午後9時30分〜午後9時55分)

歌舞伎解説者 おくだ賢太郎が
新国劇は男性に愛され、新派は女性ファンが多かったと述べていた。

そのとき
十三夜(小笠原 美都子)や湯島の白梅(小畑実)などの
新派にまつわる歌が流れた。

おくだ賢太郎はその番組の中で
某演劇評論家の言葉「注目すべき劇団は新派である」を紹介していた。

たとえば
畳に座る、障子や襖を開け閉めする
そういう日本の伝統のしぐさを自然できる劇団は、新派以外にはない。
しぐさの文化をきちんと受け継いでいける新派は存在価値がある。
(ほかの乱立する小劇団は、日本の伝統しぐさ文化を受け継ぐ力はない)

日本人の風情や情緒といった文化を守る新派は、無形文化財か。(ユネスコ文化遺産?)

新派の歴史の中に存在した佐藤紅緑
彼の情熱の半生とともに、サトウハチロー兄弟たちの悲劇や
佐藤愛子の誕生など色々なドラマがあった。