画像サイズ: 417×520 (71kB) | 小学校では、だんだん戦雲急になって来たせいか、あまりたのしい行事などの思い出はなく、むしろ家のすぐ近くにあった(歩いて3分)、幼稚園の思い出の方が多い。小学校では、明治節などに、神妙な顔で勅語を読む、老校長の姿しか目に浮かんでこない。
勅語は皆非常にながく、終わるまでの長い間、ず〜と下を向いていなくてはならなかったので、とくに寒い冬など、方々から鼻をすする音が聞こえた。★あと、校庭に、奉安殿と云う天皇皇后の写真を収めた、ちいさな建物があったことも。
小学校では、高尾山や、村山貯水池などへ遠足に行ったはずだが、その写真はいま残っていない。これは、幼稚園での『七夕まつり』のイベント。
このとき、たぶん、みんなで、七夕の歌を歌ったり、お遊戯などをしたのだと思う。
ところで、教育勅語は出だしが「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」というのだが、あっしらは意味も分からず、それに、ちょうど、いたずら盛りだったので、生徒同士で、「おい、知ってるか。ちん、おもうに、わが、こうそ、こうそう、」と云ったかと思うと、たちまち、相手の脇の下へ手を入れ「わが、こそ、こそ、こそ」と云いながら猛烈に、くすぐるのです。(^_-)
|