オアシスさん > 電車は廃線になっちゃったんですね。
どうもそうみたいです。
> 昭和20年、21年 そりゃ生活は苦しかったですよ。 > 食料は都会の生活で使っていた衣料などと、芋・かぼちゃなどの > 物々交換でした。 > 田舎の生活は戦前は都会比貧しかったですから、冷たかったです。
あの頃は食べるものがなくて よくみんな生き延びたと思います。 とても遠足や運動会どころではなかったでしょう。
> 田舎のお百姓さん、お金は札を積み上げ 尺祝いでした。 > 金では売らぬ、物をと もう代わりの持ってきたものはないから
それまで小作していた人は農地解放で自分の土地ができたうえ 都会の人が押し寄せ 食べ物と交換した着物や品物を手に入れて天国だったようです。 あのころが最高だった(いまは減反で地獄だ)と感想をもらす農家もいます。
私も両親が町から農村地域に引っ越しして 毎日、ジャガイモやカボチャなと食べたものです。 ムギや蕎麦も。
父はあの農村のおかげで生きられたと言いますが 母は農村の人びとの尊大な態度を批判していました。 ある都会から来た婦人は苦労して交渉しても食べ物がもらえず 悲観して自殺したそうです。
私たち親子が終戦後なんとか食糧にありついた この農村地帯に走っていた鉄道もいまは廃線となりました。 雪が3メートルも降るとSLも止まる。
思い起こせば 1993年は東北北海道は寒い気候のため米が大変不作の年でした。
スーパーでも米屋でも米が買えず これは大変と、米に頼らない食事に切り替えました。
いまでもパン、蕎麦、ジャガイモ、穀類などの食事で生きていける自信があります。 日本から米がなくても生きていける。
あのときは米商人の考えか政府の政策か とにかく私はあれから米とは距離をおくようになったのでした。
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