画像サイズ: 370×323 (15kB) | > 岡田哲監修:食べものの大常識 ポプラ社
そばが「めん」になったのは江戸時代 ソバはやせた寒い土地でも収穫できるので、古代から栽培され つぶのまま煮たり、粉にひいて熱湯をそそいでまぜた「そばがき」にして食べた。 江戸時代になって、ソバ粉につなぎの小麦粉をまぜ、めんにする方法が考え出された。 これが「切り麦」にたいする「そば切り」で、略して「そば」とよばれるようになった。 最初のころは、軽くゆでてから蒸して、しょうゆや大根おろしの汁で食べた。今も「ざるそば」がすのこをしいたセイロの上にもってあるのは、蒸したころの名残である。
お好み焼きとタコ焼き 水でといた小麦粉を鉄板の上で薄く焼き、みそをぬって巻いた「麩の焼き」というものを千利休が茶席に出したらしい。(今のクレープのようなもの) 江戸で「文字焼き」という、水とき小麦粉で鉄板の上に文字を書いて遊びながら食べるものができ、これが「もんじゃ焼き」のルーツとされる。 「文字焼き」は、明治から昭和にかけて、具にキャベツやネギ、肉がくわわり「どんどん焼き」となり、東京の下町ではやった。客が自分のこのみに葯とから、やがて「おこのみ焼き」と呼ばれるようになった。 おこのみ焼きは、戦後に大阪に伝わって、大きくさまがわりする。まず、具がイカ、エビ、牛肉など豊富になり、さらに紅ショウガ、揚げ玉なども加わりむ、小麦粉よりも具が多い、安くてボリューム満点のものになった。独特の甘いソースが生まれ、カツオ節と青のりをたっぷりかけて食べる大阪の味に変身したのだ。さらに、焼きそばを入れる「モダン焼き」も登場し、これが広島に伝わり、広島風おこのみ焼きとなる。
タコ焼き タコ焼きのルーツをさぐると、明石で1900年頃から、小麦粉と卵をといてタコを入れて丸く焼き、ダシで食べる「明石焼き」があった。また大阪にも、1930年頃から肉やタコが具のしょうゆ味のついた「ラヂオ焼き」があった(今もしょうゆ味のタコ焼きとして残る)。現在の、ソースをかけて食べるタコ焼きは、このふたつをもとに、おこのみ焼きの生地や味つけが導入され、1950年頃に誕生したらしい。
写真は「明石焼き」です。 |