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[No.228] キャンプ 投稿者:まや  投稿日:2014/08/31(Sun) 05:36
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夏の思い出といえばキャンプです。

 山や海でのキャンプ。

 私の子供時代は戦前になります。海は会社の海の家へ数日。山はテント村や
会社の山の家。山の家は戦後も行きました。

 それから学生時代の友人たちとの合宿。私の場合は福岡県の英彦山が主でし
たが、同志社大学との交流で琵琶湖の西岸(比叡山からの川が流れ込む小松)
にあったキャンプ場での生活はすてきな山行きの思い出になっています。

 草むらにテントを張って寝袋に潜り込む、夜の冷気の中でフクロウの声を聞
いたり・・・清流の水で米をといだり、煙にむせびながら飯盒炊さんのごはん
の炊き上がり具合を確かめたり・・・なんて生活は今はもう夢のまた夢。

 そんな山の生活が忘れられずに、大人になってからも続けておられる方も多
いと思います。山行きの装備はすっかり変わりましたが・・・

まや


[No.229] Re: キャンプ 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/31(Sun) 05:48
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まやさん

>  私の子供時代は戦前になります。海は会社の海の家へ数日。山はテント村や
> 会社の山の家。山の家は戦後も行きました。
>
>  それから学生時代の友人たちとの合宿。私の場合は福岡県の英彦山が主でし
> たが、同志社大学との交流で琵琶湖の西岸(比叡山からの川が流れ込む小松)
> にあったキャンプ場での生活はすてきな山行きの思い出になっています。

いい思い出ですね。
なかなか良い場所でのキャンプです。

虫よけの薬も使ったのでしょうか。


[No.230] Re: キャンプ 投稿者:まや  投稿日:2014/09/01(Mon) 10:00
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夏の思い出には戦後のキャンプもあります。

 夏休みのボランティアで近江学園という当時としては有名な児童施設にボラ
ンティアに行き、学園を挙げての夏季学校へ・・・滋賀県の某小学校の校舎を
借りて、子供たちと一緒に教室にごろ寝をしながら過ごす数日。

 まだ食糧の乏しい時期でしたが、どこからかの差し入れでいただいた七面鳥
は格別のご馳走だったのを記憶しています。

 学習塾の上級生を連れて、テント(今日のような軽量のものではない)を借
りてきて、一緒に「阿蘇・九重」制覇を目指して阿蘇の外輪山の草原や久住高
原にテントを張ったことも(私はクタクタになっていたが中三の男の子たちは
元気に薪を集めたり、火を起こしたりしてハンゴウ炊さん。)

 同じ年代の女の子を連れて山の小屋が並んだキャンプサイトに行ったことは
ほとんど記憶に残っていないのに、この男の子たちと一緒にテントを担いで九
重に上ったり、阿蘇の噴火口を覗いたりしたことは今ではいい思い出です。

まや


[No.231] Re: キャンプ 投稿者:男爵  投稿日:2014/09/01(Mon) 18:49
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まやさん

> 夏の思い出には戦後のキャンプもあります。
>
>  夏休みのボランティアで近江学園という当時としては有名な児童施設にボラ
> ンティアに行き、学園を挙げての夏季学校へ・・・滋賀県の某小学校の校舎を
> 借りて、子供たちと一緒に教室にごろ寝をしながら過ごす数日。
>
>  まだ食糧の乏しい時期でしたが、どこからかの差し入れでいただいた七面鳥
> は格別のご馳走だったのを記憶しています。

当時は大変なご馳走でしたね。

みんなが喜んだことでしょう。

>  学習塾の上級生を連れて、テント(今日のような軽量のものではない)を借
> りてきて、一緒に「阿蘇・九重」制覇を目指して阿蘇の外輪山の草原や久住高
> 原にテントを張ったことも(私はクタクタになっていたが中三の男の子たちは
> 元気に薪を集めたり、火を起こしたりしてハンゴウ炊さん。)

阿蘇の外輪山は歩いたことがありますが、久住高原はまだ行ったことがありません。

芹洋子の「坊がつる讃歌」を思い出します。