戦前の我が家では、柱に掛け時計がありました。父だけが「腕時計」をしていました。 どちらも、しょっちゅうネジを巻かなくてはなりませんでした。 戦争直後、腕の良い「時計屋さん」だった伯母の連れ合いは、引揚者で店を持つお金はありませんでしたが、戦争直後、郷里に近い漁業の町で「時計修理業」をやっていました。 当時でも、漁師さんたちには腕時計は必需品でした。 が、今とは違い防水が完全な時計はありませんでしたから、修理の需要は多く結構流行っていました。
私も高校入学の時はじめて「腕時計」をもらいました。
戦後、日本の時計産業は素晴らしい発展を遂げ「東京オリンピック」では大活躍しました。 そして時計の値段はどんどん下がり、子どものお小遣いでも買えるようになりました。
20世紀の終わり頃には「テレビ」「パソコン」だけでなく「炊飯器」にも「カメラ」にもあらゆる電機・電子器具が時刻を表示してくれるようになりました。
いまスマホのなかの時計は「目覚まし」「ストップウオッチ」「世界時計」などの機能を備えるようになりました。 そしてスマートウォッチの登場です。時計とコンピュータが合体しました。 確かに便利です。 寝過ごして遅刻することもなく、 気がついたらお鍋が真っ黒焦げ、 という悲劇も防止出来るようになりました。 その結果、 秒単位で表示されるデジタル時計を見ていると気ぜわしくて落ち着かない、 時差ボケのような、体内時計と精密な時計との時間差に振り回される、 など時間の奴隷になりつつあるような気がします。 友人は「私の最後の時刻に向かったカウントダウンのようだ」といいます。
|