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叔父の話 投稿者:Arthur 投稿日:2023/10/26(Thu) 17:56 No.30

これは、特攻に行って帰ってきた叔父の話です。
高倉健主演の「蛍」という映画をご覧になったでしょうか?
特攻で生き残った主人公の生き様、戦友の家族を訪れ墓参をする、戦友は蛍になって帰ってくる。この映画の一部は、叔父がモデルになっています。
戦時中に叔父は、飛行訓練をあちこちでやり、大分の基地から南方のトラック島や歌になったラバウルなどの戦地へ行き、戦闘を経験している。
この間何回も死地をさまよっている。
最後は、鹿児島の国分基地から特攻出撃し、戦闘で傷を負い意識朦朧の体で知覧基地に不時着した。知覧基地においてある零戦は叔父が乗っていた物だと思う。
詳細は、叔父の書いた「水平線:ソロモンから沖縄特攻まで 零戦・艦爆搭乗員の記録」という小冊子に記してある。題字は父が書いた物である。
知覧の記念館に置いてあったと思う。
南日本リビング新聞社の刊行「零戦にかけた男」でもある。
戦後、警察予備隊・自衛隊と仕え、退官後は日本国中の戦友の墓参りをされた。
海外のメディアや、米軍で沖縄戦で戦った元戦闘機乗りも叔父を訪ねてきた。
「戦争は絶対にしてはならない」。激戦を必至でくぐりぬけた叔父の言葉である。
小・中学校での講演もずいぶんやった。
数年前に亡くなったが、戦闘の傷跡の破片がたくさんあったと聞いている。
晩年の叔父に、どこか行きたいところはありませんか と問うたことがある。
特攻の訓練をした台南に碑がある。そこに行きたい。残念ながら実現しなかった。
気骨のある叔父であった。

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