> 此の講演は非常に貴重な御話しです。> 日韓オフ無関心の他のニッポン人に是非御覧戴き名作。> 多少の誤変換を訂正して是非大公開致し度きものです。> が、些て何処と言うと乍残念一寸見付からない。 > 御智恵如何? 連絡室で 3月23日に 紹介はしておきました 日韓の部屋 そのものが 公開の部屋ですから これ以上には 今のところ妙案も(^^) 山 人
チャット&Skype 参加のみなさん、おつかれさまでした。下記のみなさんが参加されて、楽しく、語り合いました。Rockyさん、garishさん、SSHさん、Odongさん、Suhyang5 さんティムドラゴンさん、安房守さん、甘辛城主さんあんみつ姫さん、ら、めーるさん、りんどうさん、いまいちさん次回、木曜も、お待ちいたします。
今宵3/29は、恒例の土曜・日韓チャットの晩です。夜9時から9時30分までです。メロウ倶楽部トップページ 総合メニュー欄 【日韓友好】を開きます。そして、チャットルームをクリックして下さい。下記URLからは、直行します。http://www.mellow-club.org/cgibin/comchat/comchatx.cgi?mode=frame&id=0P.S入室挨拶は、お互いに、簡単又は省略して、すぐ、話題にお入り下さい。チャット終了後、SSH(星山)さんHostでSkype も予定しています。では、お待ちしています。
白兎山人さん此の講演は非常に貴重な御話しです。日韓オフ無関心の他のニッポン人に是非御覧戴き名作。多少の誤変換を訂正して是非大公開致し度きものです。が、些て何処と言うと乍残念一寸見付からない。御智恵如何? 変蝠林(1917-) =======================================> ここにわれわれは、自然を文學に取り入れて美化する、日本人の感性の細やかさ、>『 銳』さを、まざまざと見せつけられのであります。> 日本の国家社会は、武士が実験『権』を握って以来、戦乱の世を度重ねて経て来> 13世紀、世界を制覇したモンゴル軍、すなわち「元」を相手に、カンファ(江華)島を典『点』拠にした高麗王朝が、34年もの間、反モンゴル抵抗運動を続けた、> これまで、いくつかの側面において、日韓両国の文化の特徴を比較して見ましたが、ここに現れた量『両』民族の文化や週間の違いは、長い歴史の体験に根ざす風俗の差であります。 > 「朝顔につるべとられてもらい水」> > 長時間のご静聴 有難うございました> 申鉉夏=======================================
チャット&Skype 参加のみなさん、おつかれさまでした。下記のみなさんが参加されて、楽しく、語り合いました。Rockyさん、garishさん、SSHさん、Odongさん、Suhyang5 さんティムドラゴンさん、安房守さん、ぱらむさん、りんどうさん、いまいちさん次回、土曜も、お待ちいたします。
今宵3/27は、恒例の木曜・日韓チャットの晩です。夜9時から9時30分までです。メロウ倶楽部トップページ 総合メニュー欄 【日韓友好】を開きます。そして、チャットルームをクリックして下さい。下記URLからは、直行します。http://www.mellow-club.org/cgibin/comchat/comchatx.cgi?mode=frame&id=0P.S入室挨拶は、お互いに、簡単又は省略して、すぐ、話題にお入り下さい。チャット終了後、SSH(星山)さんHostでSkype も予定しています。では、お待ちしています。
白兎山人さん、みなさん済州島オフでの、申鉉夏先生の講演全文を紹介していただき、感謝です。当日は、部分部分で感動して聞いていたのでしたが、時間経過で忘却していた部分がありました。K-Jクラブとの交流の上で、実に有益な講演ですし、含蓄ある内容で、感動を新たにしました。ありがとうございました。 2008.3.24am9.37 いまいち(imaichi)
2007年済州島で行われた日韓交流会における申鉉夏さんのスピーチをKJクラブの掲示板から転載させていただきます。きれぎれでは 内容把握がしにくいので 既に転載した部分をふくめて 一括転載いたします。---------------------------------------------皆様 今日は ただ今ご紹介にあずかりました申鉉夏(シン・ヒョンハ)でございます。高いところから誠に僭越ではございますが、日本の皆様にあらためてご挨拶申し上げます。 日本の皆様、遠路はるばる、ようこそ韓国へおいで下さいました。論語に「友あり、遠方より来る また楽しからずや」とありますが、まさに本日のこの光景を言い表しているようであります。 言うまでもなく この場は、日韓両国の心ある人々が一堂に会し、相互理解を深め、親善友好を図る「国際交流」の場であります。 最近「国際化」とか「世界化」そして「国際交流」などと言う言葉が盛んに使われています。一般に「国際交流」は「文化交流」と同義にとられていますが、私はこの言葉を「異質な文化の人々と接することにより、自分が変わっていくきっかけをつかむことである」と解しております。 思うに「ヒトとモノが交流すれば、文化が交流されるのは自明なことであります。ですが、相手の文化を互いに素直に受け入れ、その違いをともに認識し理解しようとする心構えが出来ていてこそ、真の文化交流は為され、国際化の実が結ばれる」と私は信じております。 そして文化交流の手順としては、「目に見える文化交流に先立ち、目に見えない<心>の交流が為されるべきである」と考えるのであります。本日の演題を「日本の心・韓国の心」としたのも、このような考えに立ってのことであります。 ところで、ある民俗の「心」を知るためには、その民族の文化を見るべきでありましょう。なぜならば [文化とは、その国の歴史と風土の中で、その民族の情緒が育み、営み、培ったものであり、そこには、その民族の「心」が凝縮されている] 、と見られるからであります。 日本の著名な作家・司馬遼太カさんは、その著・ [アメリカ素描] の仲で、「文明とは、たれでも参加できる普遍的なもの・機能的なものをさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団、たとえば、民族のような集団においてのみ通用しうる特殊なもので、たれもが参加できるようなものでなく、したがって、普遍性を持っていないので、これは他に及ぼしがたい。たとえば、交通信号で、青で進み赤で停止するというのは文明で、このとりきめは現に世界に及んでいる。だが、婦人がふすまを開けるとき、膝をついて開けねばならないのは文化で、ここでは合理主義は成立しえない」、と述べておられます。 日本と韓国は、地理的にもっとも近く、同じ文明圏に属しているので、言語、風俗、文化などに類似したところが多くあります。しかし、両民族は、互いに違った歴史を歩み、異なる風土の中で生を営んで来ましたので、それらの間には、相違したところとて少なくありません。 このような両国文化の異質的な側面は、文明が共通しているので、一層浮き彫りにされていると言えましょう。 韓国の硯学・李御寧さんは、日本の文化を「縮み志向の文化」と論じ、一大反響を呼び起こしました。それになぞらえて言えば、韓国の文化は「拡がり志向の文化」と言えなくもありません 韓国語には、「ワン」と言う接頭語のつく言葉が多く見受けられます。この「ワン」は。漢字での「王」に該当し、「大きい」と言う意味に使われています。たとえば、「ワン・テポ」と言えば、「特大の杯」すなわち、ドンブリのような大きな杯でのお酒を意味し、「ワン・ボルと言えば「熊ん蜂」の意であり、「ワン・ヌン」と言えば「ドングリ目」を意味します。 韓国語には、強い相手と渡り合うときの盾として、相手より自分を強く、または大きく見せようとしたり、物事を実物より誇張・虚飾したりする意識が、底辺にあるように見受けられます。 韓国語には「ワン」などの拡大を意味する接頭語は多いですが、縮小を表すそれはあまり見当たりません。韓国の文化は、その歴史的背景からして「悲哀と楽観が裏表になっている文化である」と言われています。また韓国人の意識構造は、苦難の歴史を生きて来たにも拘わらず、「大らか」であり「楽天的」であると指摘されもします。と同時に生きるための智恵として、相手に対し実力以上に自己を誇示し、己を実像以上に大きく見せようとする意識が生じたのかも知れません。 これに比べ日本語には、拡大を意味する接頭語よりも、縮小を表すそれの方が、より一般的に使われているようであります。たとえば「豆電球」「豆男」「豆知識」とか「ひな人形」などの「豆、ひな」がそれであります。 日本の平安時代に書かれた清少納言の随筆「枕草子」155段「うつくしきもの」の中に「なにもなにも ちひさきものはみなうつくし」と言うくだりがあります。また日本語では 何かを作ることを「細工する」と言い表します。すなわち、作るということは細かく縮小する工作なのであります。さらにその上に「小」の字をつけた「小細工」はもとより、「小奇麗」「小癪」と言う言葉まで生み出しました。 小さいものを愛でる日本人の心は、団扇を縮小して折り畳みの扇子を作り出し、壮大な自然を凝縮した、禅寺の方丈の秘話を作り出したかと思えば、あの独特な入れ子式文化まで生み出しました。このような日本人の智恵は、ついにはトランジスター文化を生み出し、戦後の日本経済の復活に大いに貢献したのは皆様もご存知の通りであります。 私は日本の俳句を好みます。日本の「俳句」は、世界でもっとも縮小された形式の詩(うた)で、わずか17文字の中に、広い宇宙と四季の時間を表しています。中でも俳句に要請されている季語は、日本の風土と合致する美意識に富んだ、日本人の「心の綾」であると言えましょう。 たとえば、山に対する季語を見ますと、春は「山笑う」夏は「山滴る」秋は「山思う」冬は「山眠る」となっていて、四季の移り変わりのはっきりした日本の風土を、心憎いまで微妙に表現しています。 ここに我々は、自然を文学に取り入れて美化する、日本人の感性の濃やかさ・鋭さを、まざまざと見せつけられるのであります。ここにわれわれは、自然を文學に取り入れて美化する、日本人の感性の細やかさ、銳さを、まざまざと見せつけられのであります。 作者が不明な俳句に 「信濃には月と仏とおらがそば」と言うのがあります。これはおそらく「お国自慢」の句でありましょう。昔から日本人は 初めて挨拶を交わす人同士「お国はどちらですか」と尋ねるのが当たり前のようでした。この時の「お国」は、言うまでもなく相手の生まれたところ、故郷ひいては出身藩を指す意味と解してよいでしょう。 封建制度を基盤に、地方分権性政治制度を保って来た日本には、このほかにも「おらが村」「お国自慢」「お国訛り」など、郷愁をそそる言葉が多くあります。 封建制度を基盤に、地方分権性政治制度を保って來た日本には、このほかにも、「おらが村」・「お國自慢」・「お國訛り」など、ク愁をそそる言葉が多くあります。そのときの「お国」は、すなわち「郷土」「出身藩」を意味するのは言うまでもありません。 また、日本語には「一生懸命」と言う言葉があります。これは「一所懸命」が変形されたのであると伺っております。 これを解釈すれば、「所」を同じくする人たちが「一つ心」になり、共同体である村の田畑を、村人が一緒になって命がけで耕作し、皆で村を守ると言う意味の言葉でありましょう。村人たちは「一生懸命」鎮守の社に神を祀り、村の安泰と農作の豊穣を祈願し、舞楽を奉納し、共同で祭りを催します。そして「仲間意識」で固まり、「姓」すなわち「氏」が同じか否かを超越し、「運命共同体」として団結するのでありました。日本語に「村八分」と言う言葉があります。これは村の仕来りを守らなかった人と、その家族を、村人たちが相談して除け者にすることであります。 一方、韓国人に対し、「お国はどちらですか」と尋ねたら、尋ねられた韓国人はいかにも怪訝そうな顔つきをするに決まっています。なぜならば、韓国人にとって「国」と言う言葉は、昔も今も「国家」そのものとして捉えられているからであります。 韓国は実に永い間、中央集権的政治形態を保って来たため、その社会の発展過程も、自ずと画一的なものであり、「国」と言う言葉は一に「国家」を指すものとして受け止められて来ました。ですが、残念にも その「国」は、数多く繰り返された外国からの侵略に際し、民草を守るという「国」本来の役割を果たしえませんでした。 それ故人々は、家族 ひいては同族と言う血縁関係で固まり、自分たちの力だけで身を守るほかありませんでした。村には日本のように鎮守の社はなく、その代わり氏族単位に先祖の位牌を祭る祠堂がもうけられました。 したがって、ここでは「一所懸命」と言う「運命共同体」としての「村意識」は乏しく、人々は「血縁集団」を維持して行くため力を注いだのでありました。 韓国人同士、初対面のときは、先ず互いに相手の「氏」すなわち「姓」を確かめ合います。そして、同じ「姓」ならば「本貫」が同じであるか否か、もし本貫が同じならば行列、すなわち「世数関係」、つまり始祖から数えて何代目に当たるかを確かめます。 なぜならば、血縁関係を重視する韓国では、親族間の上下序列によって親疎関係を測り、それをもとに行動基準が決められるからであります。 日本の江戸時代の国学者・本居宣長は「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」と、日本人の心を桜の花にたとえました。 日本の国花・「桜」は、咲くときは一斉に咲き始め、短い命を「一所懸命」に華やいでは、散るときもしず心なく一斉に散っていきます。日本人は、桜の花の「きれいさ」「美しさ」もさることながら、その散り際が「あっさり」して「潔い」のを、自分たちの心にたとえます。 日本人は、互いに命がけで争う最中でも、相手に適わないと認めたときは、ためらいもなく「かんにん」「参った」と言います。すると、相手もそれを素直に受け入れ、今までの争いは即中止となり、それまでのことを「水に流し」「一件落着」すべてがまるく収まると評価しております。 一方、韓国の国家「ムグンファ」は、花自体 牡丹や薔薇のように 濃艶・華麗といったものでなく、また、桜のように若い血潮に溢れ、散り際が潔いというものでもありません。花一つだけをとって見れば、アサガオのように一日だけの命でありますが、一本の木全体について言えば、次から次へと百日間も咲き続け、いつ見てもたくさんの花を付けている「粘り強さ」があります。 日本の国家社会は、武士が実験を握って以来、戦乱の世を度重ねて経て来ましたが、それが日本列島内での同属間の争いだったので、負けても勝っても所詮は日本人同士の内輪もめで終わりました。したがって戦いは武士団が行い、勝敗はそのままに。大勢は勝者に忠誠を誓うだけでよかったのでした。 しかし、地勢学的条件が不利なわが民族は、数知れないほどの外国からの侵略を受け、あげくの果ては、侵略者に屈服せざるをえませんでした。でも、これら受難の歴史を耐えしのぎ、民族を保持し、個性の強い文化を維持できたのは、まさに「ムグンファ」の「粘り強さ」にあったのであります。 13世紀、世界を制覇したモンゴル軍、すなわち「元」を相手に、カンファ(江華)島を典拠にした高麗王朝が、34年もの間、反モンゴル抵抗運動を続けた、壮烈な歴史がその一例であります。 この韓国人の「粘り強さ」は、外国人、特に日本人からは「しつこい」「執念深い」などと見て取られ、顰蹙の対象になっているのも否めません。日本人が韓国人を嫌う理由の一つは、この頑なな「しつこさ」すなわち「恨(ハーン)」の世界であると言えましょう。 一度、根にもつとなると、相手の気持ちや言い分などは一切お構いなしに、何度も同じことを主張し続ける韓国人の「しつこさ」に、日本人は、それこそ「参る」のであります。「朝鮮人はしつこい」「朝鮮人は嫌いだ」と言う言葉は、過去をきれいに「水に流し」忘れるのが美徳であるとする、日本人の耐え難い気持ちをよく表わしています。 わが民族の「粘り強さ」「激しさ」は、芸術の分野でも伺えると言われています。在日韓国二世で、国際的なバイオリニストの丁讃宇さんによれば、「韓国人の演奏には、表現の振幅の大きさと張りの強さがある。演歌で言うと、美空ひばりや都はるみに似ている。一方、日本人の演奏は、島倉千代子のように、端正で細やかな陰影を感じる」と言うのであります。すなわち、韓国人の演奏は「大陸的」で「激しい」と評されるし、日本人の演奏は「繊細」で「箱庭的」と評されるとのことであります。 さて、日本に「似て非なるもの」という言葉がありますが、日韓両国の「食文化」が、まさに、それに当たるでしょう。一般に「日本の料理は色彩の配合が芸術的であり、その盛り付けも美学的に整っているので<目で味わう料理>である。それに比べ韓国の料理は色彩が映えないばかりか量が多いので、<舌で味わう料理>である」と言われています。 また、食事の作法について見ますと、韓国と日本はともに「箸」の文化を持っていますが、日本では主に箸だけを使うのに対し、韓国では箸と匙の両方を上手に使い分けています。でも、どちらかと言えば匙の方が主であります。日本語にも「匙」とか「匙加減」と言うこよばがありますが、それは、食事のとき使う匙を指すより、薬を調剤するよきに使う匙を指す言葉であります。皆様には、この度も召し上がるチャンスがおありでしょうが、韓国の料理には「湯(タン)」と名のつくものが多うございます。たとえば「サムゲタン」「コムタン」「ソルロンタン」などがそれであります。これらの料理はほとんどが汁物である上に熱く、大きな器に入れてあるので、匙なしではとうてい口に出来るものではありません。ですので韓国の食事方法は食器を食卓に置いたまま、食べ物は匙か箸で口へ運んで食べます。 韓国では、食器を手で持ち上げ口に当てて食べたりすると、「口に食器を近づけて食べるのは犬や牛の食べ方である」とお叱りを受けるのであります。これに比べ日本の料理はお箸だけで充分食べられるし、たとえ汁物でも小さなお椀に入れて出すので、必ずしも匙を使う必要はありません。匙を使わない日本人は、汁物はお椀を持ち上げて口につけて食べるわけですが、そのような作法は韓国人の目には奇異に映るのであります。 最後に、日本の文化は「恥の文化」、韓国の文化は「恨(ハン)の文化」と言われていることについてお話しましょう。 さまざまな文化の人類学研究において重要なのは「恥」を基調とする文化と「罪」を基調とする文化を区別することであります。戦後多くの人に読まれた「菊と刀」の著者・ルース・ベネディクトは、日本の文化は「恥辱感」を原動力としていて、徳の根本を「恥」に据えていると言うのであります。したがって「恥」を感じやすい人間こそ、善行のあらゆる掟を実行する人であるとし、「恥を知る人」と言う言葉は、あるときは「徳のある人」あるときは「名誉を重んずる人」と評価されるとのことであります。中でも「縄目の辱めを受ける」ことを、もっとも「恥」とするのであります。 その一例に、第二次大戦冬至、戦陣訓の教えを頑なに守り、「俘虜の辱めを受けまい」として潔く自決した数多くの日本軍人がいたことが挙げられます。このようなことはベネディクトのような「罪」を基調とする欧米人にとっては理解に苦しむことでありますが、日本人にとっては誠に賞賛に値する美徳でありました。 では「恨(ハン)の文化」とは、いったいどのような文化なのでしょう。「恨(ハン)」とは読んで字のごとく「うらみ」であり、それをくだいて言うならば「うらみなげくこと」であります。 日本語では「うらむ」を 「恨む」「怨む」「憾む」の三種に表記しております。広辞苑によれば、これらは「他からの仕打ちを不当に思いながらも、その気持ちを量りかね、また仕返しも出来ず、忘れずに心にかけている状態」と解釈されていて、別にその違いを区別しないで使っているようであります。 ところが、韓国の場合「恨(ハン)」と「怨(ウォン)」は、まったく違った意味で使われています。大雑把に言えば「怨(ウォン)」とは、他人に対し、または自分の外部の何かについての感情であるのに対し、「恨(ハン)」はむしろ二分の内部に沈殿し積もる情の固まりと言ってよいでしょう。 人は願い事がなくても他人から被害を受けただけで「怨み(ウォン」を持つようになりますが、それは「恨み(ハン)」にはなりません。「恨(ハン)」は、別に他人から被害を被らなくても自ずと湧いてくる心情なのであります。それは自分自身に願いがあったからこそ、また自分自身の能力があったからこそ、何かの挫折感が「恨(ハン)」になるわけであります。したがって「恨(ハン)」は、叶えられなかった望みであり、実現されなかった夢であると言ってもよいでしょう。 それ故「恨(ハン)」は、相手を恨み、復讐をすることなく、内に篭って涙をこらえ、じっと耐え忍ぶ「情」すなわち「心」であります。そしてこのように心に積もり積もった「恨(ハン)」は、望みが叶えられ、祈願が成就すれば、立ち込めた朝霧が晴れるように自然に解消されるのであります。 それに対して「怨み(ウォン)」は、あの有名な「忠臣蔵」に登場する、赤穂浪士たちの吉良邸への討ち入りに見るごとく、必ず仇を討たなければ晴れないのであります。日本人が、この「忠臣蔵」にいたく魅かれるのは、赤穂四十七士の仇討ちに共感を覚えるからでありましょうが、韓国人もこの点においては同感であります。 韓国の民謡に、皆様もご存知の「アリラン」があります。この「アリラン」は、悲しい愛の歌でありますが、韓国人の「恨(ハン)」の「情(こころ)」をよく表していて、いつでもどこでも歌われる「ハンプリ」すなわち「ハン」を晴らす歌であります。先日、韓国とどこかの国とのサッカー試合がテレビで放映されていました。そこで応援している韓国人は、応援歌としてはどう考えても拍子の合わない、ワルツ調の「アリラン」を声高に歌っているではありませんか。韓国人にとっての「アリラン」は、心の中に思い込んだことが是非成し遂げられるようにと願う、一種の祈願の歌なのであります。 この歌の歌詞に「アリラン アリラン アラリヨ、アリラン峠を越えて行く」と言うくだりがあります。皆様、その「アリラン峠」はどこにあるのでしょう。「アリラン峠」は実在する峠ではありません。「アリラン峠」は人生の峠であり、韓国人の「恨(ハン)の峠」でありますので、韓国人それぞれの胸の中に座を占めている「峠」であります。 では、わが民族は、なぜかくも「恨(ハン)」を抱くようになったのでしょう。皆様、恐縮ですが頭の中に東北アジアの地図を思い描いてごらんください。今、皆さんが描かれた地図の通り、わが半島はアジア大陸の先端に、あたかも乳房のようにくっついています。その大陸の北方には匈奴族が、そして南方には漢族と言う強大な民族が陣取り、わが民族は いやがおうにも それらの勢力の影響をもろに受けながら生きて来ざるを得ませんでした。 一方、海峡を隔てた東方には大和民族がいて、十六世紀の末には豊臣秀吉の他愛ない野心により、八年もの間 日本で言う文禄・慶長の役 韓国で言う倭乱(ウェラン)の被害を被りました。 近代に至っては、十九世紀の末から二十世紀の初頭にかけて、日本の大陸侵攻の足場となったわが半島は日清・日露戦争の戦場と化しました。そしてついには日本の植民地となり、三十六年もの間 桎梏(あしかせ・てかせ 転載者註)の歴史を歩まされました。 第二次大戦が終わった後、植民地からの開放の歓びも束の間、東西両陣営の角逐の緩衝地帯として国土は南北に分断され、世界史に稀有な、同族相食む戦乱を経た後も 今尚地球上で唯一の分断国家・民族として悲運に曝されているのであります。 このような地勢学的条件からして、わが民族は、五千年の歴史を生きて来る間に、驚く勿れ、九百数十回に及ぶ侵略を受けたのであります。そしてその都度恥辱を味あわされ、辛酸を舐めさせられたのでありました。 それに比べ、四方を生みに囲まれた日本は、有史以来、第二次大戦末期の沖縄戦を除けば、自国での戦闘を誰も味わっていません。 以上述べたようにわが国は外敵からの侵略の上に、国内政治の不行き届きが重なり、先ほども申し上げたように、自分自身に願いがあったにも拘わらず、また、自分自身の能力があったにも拘わらず、望みは叶えられなかったし、夢は実現されなかったのでありました。このように 実現されなかった我が民族の祈願が、そのとき味あわされた数多くの挫折感が、心の内部に沈殿し積もった情の塊が「恨」になったのであると言えましょう。これまで、いくつかの側面において、日韓両国の文化の特徴を比較して見ましたが、ここに現れた量民族の文化や週間の違いは、長い歴史の体験に根ざす風俗の差であります。従って、その違いや差をもって「この民族は優れた民族である」「あの民族は劣等民族である」と言う風に区別するなど、その優劣をつけることは出来ませんし、また、そうあってもなりません。そして、各民族の文化や習慣の違いは、それが「醜いもの」でも「恥ずかしいもの」でもなければ、まして、互いに謗り合うべきものでは尚更ありません。 互いにその差や違いを認め、理解しあうべきことであるのは、今更申すまでもないでしょう。 重ねて申し上げますが、文化交流と相互理解は、先ず相手の立場に立って物事を考えることから始まるべきであります。そして互いの歓びや悲しみを分かち合える心の拡がりが、ひいては人類の平和と共存に貢献する原動力になるものと信ずるべきでありましょう。 そのような意味からして、井戸端に咲いた一輪のアサガオを労わり、傷つけまいとする優しい心、すなわち、相手の立場に立って物事を考える心が滲んでいる、千代女の俳句を一首添え、 本日のお話を締めくくらせていただきます。 「朝顔につるべとられてもらい水」 長時間のご静聴 有難うございました 申鉉夏
チャット&Skype 参加のみなさん、おつかれさまでした。下記のみなさんが参加されて、楽しく、語り合いました。Rockyさん、garishさん、SSHさん、Odongさん、Suhyang5 さんtoshyさん、ティムドラゴンさん、安房守さん、ひねさん、ポテトさん、Jacmc(Kubo)さん、ら、めーるさん、ぱらむさん、いまいちさん次回、木曜も、お待ちいたします。
いまいちさんいつも大変お世話になっています。今夜は参加したいと思います。 > 下記URLからは、直行します。> > http://www.mellow-club.org/cgibin/comchat/comchatx.cgi?mode=frame&id=0旅行が楽しみです。