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タイトルオバアチャン・バイバイ 1
記事No1509
投稿日: 2005/01/12(Wed) 20:41
投稿者マーチャン
 晴れた気持ちのいい朝でした。朝食の後片付けをしてからお布団を干していました。そこへ電話。8時半ころです。
 「こちらS病院です。ささえさんの容態が急変しました。すぐいらっしゃってください」とのこと。
 口の中がカラカラに乾きました。
 ともかくも着替えをしました。
 赤い服の大好きな私ですが、赤い服はふさわしくないのではーーーととっさに思い、紺のスェーターに着替えなおしました。

 タクシーを呼んで、病院のオバアチャンの部屋へ駆けつけると、4人部屋のオバアチャンのベットはカーテンで囲まれ、他の患者さんは、部屋から出されていました。そして、センセイ、病棟婦長(今は師長)さんや数人の看護師さんがいらっしゃいました。
 オバアチャンはいろいろな機械に取り囲まれていました。
 日曜日でしたが、幸い当直のセンセイが私が「大ヤケド」で入院したときの担当医の外科の先生でした。
 私の顔をみとる「申し上げにくいのですが、すでに心電図はフラットです。機械をはずさせていただいてよろしいでしょうか」とおっしゃいます。それが何を意味しているかは、ノーテンキな私にも分かりました。機械類をはずすと、センセイは深く一礼し「9時12分とさせていただきます」とおっしゃいました。
 オバアチャンは穏やかな、本当に穏やかな顔をしていました。

 この「シニア相談室」に書きましたように、この病院に言いたいこともありました。ただ、オバアチャンの顔は「もういいよ。早くお家に帰ろうよ」といっているように見えました。
 私は、先生と婦長さんに深く一礼し「長い間、ありがとうございました」といいました。入院期間こそ短かったものの、訪問看護、訪問診療とここ数年間、親身になってオバアチャンの在宅介護をサポートしてくれた病院だったのです。
 

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 1
記事No1510
投稿日: 2005/01/12(Wed) 22:15
投稿者まや
マーチャンさん、今晩は!

 オバーチャンの最後のこと、アップをありがとうございま
した。マーチャンさんがどんなお気持ちで病院に向かわれた
か、私の一昨年のことを思い出してしまいました。

 私の母の場合も朝でした。9時1分前。いつも朝食の介助
に出かけていたのに、その朝は所用で家にいたところに電話
でした。すぐに車を走らせたのですが間に合いませんでした。
 
>  オバアチャンは穏やかな、本当に穏やかな顔をしていました。

 穏やかなお顔でよかったですね。
 私は母の静かに眠っているような顔をそっと撫でました。
 そのことを思い出し、母と同年同月生まれのマーチャンさ
んの母上がお元気でご存命でおられるのを母のことのように
思って応援していましたのに・・・そう思うと、マーチャン
さんのお気持ちを察して今また涙しています。

 お辛いでしょうが、頑張ってください。

まや 〜所沢〜
 

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 1
記事No1511
投稿日: 2005/01/13(Thu) 10:37
投稿者沙羅
私も心をこめて、オバアチャン・バイバイと申し上げます。ご葬儀の詳しいご様子をお聞きし、ささえ様に、とってもふさわしい送る儀式だったと思います。長い間私達を元気づけ、勇気を与えて下さったオバアチャン、本当に有り難うございました。そして献身的に、ふつうなら辛い筈の介護をオバアチャンと共に楽しみながらなさった紋次郎さん、マーチャンさんに尊敬と感謝の念を禁じ得ません。

どうぞお疲れが出ませんように、お二人のご健康を心から願っております。本当にお幸せなオバアチャンでいらっしゃいました。

タイトルオバアチャン・バイバイ 2
記事No1512
投稿日: 2005/01/13(Thu) 18:25
投稿者マーチャン
 死亡時刻が確定した時点で、オバアチャンは「患者様からご遺体へ」、ワタクシメは「ご家族からご遺族へ」と名称変更が行われます。
 ベテランの婦長さんは、おたおたしている「ご遺族」を上手くリードします。
 「ご遺体のお清めをさせていただきます。ご家族のお手が必要なときは、お声をおかけしますので、その間に、ご親族への電話連絡などなさっては如何でしょう。病院内では、ケータイが使えませんので、一階にありますNTTの電話をご利用ください。それから、葬儀屋さんはどうされますか。病院でも、いくつかの葬儀社の電話番号は控えております。では一番お近いところへなさっては如何でしょう。それから、会計窓口で死亡診断書をお受け取りになり、忘れずにお持ちください。すぐ必要になりますから」

 「あのお会計はどうしましょう」「それは落ち着かれたころにご連絡しますから、そのときで結構です」などのやり取りもありました。

 「ありがとうございます。まず、お水かお茶をいただけますでしょうか。のどがカラカラですので」といい、お茶をいただいて気を静めた後、兄2人に電話をしました。

 長兄には連絡はついたのですが、オバアチャン大好き人間の紋次郎兄とコンタクトがとれないのです。その日に限って朝早くからでかけているよし。東京ドームのイタリアン・フェスティバルへ行っているらしいとのこと。紋次郎夫人も心配して連絡をとってくれたのですが、場所が場所だけに捕まえるのは無理です。

 オバアチャンの部屋へ戻ってみますと、カーテンのなかから若い看護助手さんが出てきて婦長さんを探していました。しばらくすると婦長さんが「そうそう、こちら側を内側にするのよ」と教えているのが聞こえました。浴衣の着せ方が分からなかったのでしょう。

 オバアチャンは、病院備え付けの新しい浴衣に着替えさせてもらって、薄化粧もしてもらい、本当に「いいお顔」をしていました。

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 2
記事No1513
投稿日: 2005/01/14(Fri) 09:09
投稿者ポテト
参照先http://www.mellow-club.org/yokocho/mc462/mc462.html
立派に最後までお世話したから
オバアチャンも感謝していると思います。

私も自分の親と連れ合いの親をみな見送りました。
互助会と契約していたので
電話したら速やかに対応してくれました。
病院や施設から担架のようなもので運んでくれました。
いろんなお別れの場面を体験しました。

タイトルオバアチャン・バイバイ 3
記事No1514
投稿日: 2005/01/14(Fri) 10:03
投稿者マーチャン
 診断書には「老衰」とだけ書かれていました。
 「重大な既往症なし」「持病なし」「常時服薬しているクスリなし」のオバアチャン。健やかに老いて、安らかに去ったオバアチャンにふさわしい表現でしただと思いました。
 葬儀屋さんがストレッチャーで病棟まで迎えにきて、エレベータで地下まで連れて行きました。私は、わずかな私物を拝借したポリエステルの袋に入れて抱えながら従いました。地下の駐車場から寝台車に乗せるのです。

 ここには、当直のセンセイ、婦長さん、看護スタッフ、事務の人など、日曜日の病院で、よくこれだけの方が集まれたと思うほど20人くらいの方が、合掌してオバアチャンを見送ってくださいました。
 そういう病院なのです。

 自宅まではクルマで10分程度。自宅で、いつものお布団に寝かせてもらいました。
 「ご親族がおそろいになったころ、ご葬儀の段取りのご相談に参ります」といって葬儀屋さんは帰って行きました。

 「ご遺体」と2人きりになりました。でも感傷に浸っている暇はありません。干しておいた洗濯物を取込んだり、掃除をしたり、座布団を出したり、多忙を極めました。
 懇意にしているご近所の奥様が駆けつけてくださいました。
 そして「ささえさんのご葬儀は、ご自宅での『童謡葬』ーーーでしょう?」とおっしゃるのです。

 私自身、戻りのクルマの中でそれを考えていました。が、この奥様の一言で「それでいいのだ」と背中を押された気持ちになりました。

 
 

タイトルオバアチャン・バイバイ 4
記事No1516
投稿日: 2005/01/15(Sat) 09:43
投稿者マーチャン
 午後、葬儀屋さんが来てくれました。
 まずは、葬儀委員長を決めなくてはなりません。
 長兄は、トシもトシですし「お前たちでやってくれ」と申します。
 その時点では、紋次郎兄とは依然、連絡がとれません。
 というわけで、異例ではありますが、末っ子の私が葬儀委員長を務めることにしました。

 ただ、そうなれば話は早い。
 私の独断と偏見でやればいいわけですが。

 まず、火葬場の「空き」を確認することから始まります。
 昨今は、葬儀屋さんが、火葬場のウェブサイトで空いている時間帯を検索し予約することが可能なのです。

 火葬場の予約をした上で全体のスケジュールを決めます。

 次に、葬儀屋さんに、私の思いつきの、全体のコンセプトを話ました。
 前例とか、慣習に関係なく「オバアチャンにふさわしい葬式にしたい」こと。
 ・自宅でやりたい
 ・坊さんは呼ばない(36年前の亡父の葬式に見えた坊さんが、ことのほか感じが悪かったこともあります)
 ・BGMは、オバアチャンの好きだったCD。これはハーモニカのソロによる童謡・小学唱歌・女学生愛唱歌のアルバムです。それを流してほしい。
 ・遺影は、紋次郎兄の写した写真を使ってほしい(「jpg」の大きなファイルを用意しますといいますと、紙からスキャンするからいいといわれました)
 ・遺影のまわりは、目いっぱいお花で飾ってほしい。お花は赤いバラやカトレアなど華やかなものを多くして、花園のようにしてほしい。お花だけは、最高のものを置けるだけ置いてほしい。

 葬儀屋さんは、よく、こちらの希望に応じてくれたと感謝しています。
 そして、逆に「寄せ書き用の色紙」を提案してくれました。
 これは、送別会などで使うものと同じです。お見えになった皆様に、故人の思い出などを書いていただき、オリジナルはお棺に入れます。

 こういう勝手な注文ができたのも、一つには、故人だけでなく、我々子供の世代も、OBなっていたからでしょう。会社関係の方が見えたりすると「非常識」といわれないように気を使いますから。

 葬儀費用についても、皆様の参考になると思いますのであえて書きます。
 すべて込みで、120万円です。ただし、後刻追加注文をしましたから、もう少しは高くなっているとは思いますが。

 

タイトルオバアチャン・バイバイ 5
記事No1521
投稿日: 2005/01/16(Sun) 17:53
投稿者マーチャン
 それまでは、吉本興業的な介護の毎日でした。
 毎朝「ささえさん、オッハッ」といってオバアチャンを起しました。
 「ーーー障子が明るくなってきた、早く起きぬと遅くなる。着物を着替えて帯をしめ、手水を使いにいきましょう。きれいになったらお早うと、朝のお礼をいたしましょう」と一緒に歌いながら朝の支度をしました。
 それが終わると朝食です。ミルクティー、ヨーグルト、バナナ、マーチャン特製のカボチャのパンケーキ、葡萄パンがお気に入りのメニュー。
 お盆に載せて「はーい、ささえさんの、おいしい、美味しい朝ごはんですよ」といいながら運びました。
 でも、この日は、目を開けてくれません。

 紋次郎兄も来てくれて、従姉妹や故人の孫など、当日から翌日にかけて順次応援に来てくれました。町内自治会の役員さんも3人きてくださいました。
 それでも、葬儀委員長兼雑役婦は大変です。
 葬儀屋さんは「庭の洗濯物干し台を移動させてもよろしいでしょうか」「庭木の枝が邪魔になるので切らせてくださ」などなどと言いにきます。
 従姉妹や、故人の孫やその連れ合いなどからも「お茶の葉っぱはどちらですか」「トイレットペーパーの予備はありますでしょうか」などなどと聞かれます。
 おまけに「燃やすゴミ」の回収日であれば、その準備など日常的な仕事もこなしていかなくてはなりません。

 一番大変だったのは、電気の問題です。
 お通夜の日、家の周りの照明をするのに30アンペアでは不足といわれてしまったのです。
 日曜日にもかかわらず東京電力は来てくれましたが、我が家の場合「50アンペアにすることはできません。ただし、その時間帯だけ、ブレーカーが飛ばないように、バイパスしておきます。その時間帯は、念のため、エアコン、電気カーペット、電気ポットなどは使用しないでください」といわれてしまいました。
 寒い日だったのに。

タイトルオバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1522
投稿日: 2005/01/17(Mon) 20:12
投稿者マーチャン
 寒い夜でしたが、お通夜には、100人近い方がお見えになりました。
 お隣さんはご夫妻で。お向かいさんは、ご夫妻と他家に嫁しておられるお嬢さんと3人でーーーというように、たくさんの方が家族連れで来てくださいました。

 嬉しかったのは、ご近所の難病の青年がパジャマに毛糸のガウンを羽織ってきて下さったこと。デイサービスをお願いしていたS園から、看護師さん、介護士さんだけでなく、運転手さんに至るまでデイサービスチーム全員で仕事着のままで駆けつけてくださったことです。

 読経のない葬儀ですので、お見えになった方と喪主が目礼を交わすだけでなくお話しができたのがよかったです。
 「寒いですから、どうぞコートはお召しになったままで」とこちらが申し上げると「オバアチャマとは、ご一緒に老人クラブの世話役をやらせていただいて楽しかったですわ」などとお話いただいたりーーー。一度いらっしやって下さった方が再度お見えになり「いいお写真ですね。もう一度拝見させてくださいね」とおっしゃったりで和気藹々のお通夜でした。

 また、司会の方から「受付におりますのは故人のお孫さんです」とアナウンスしていただいたので、孫たちにも、いろいろ話しかけてくださったそうです。

 翌日の告別式でも、ご町内の方々が大勢で見送ってくださいました。

 ところで、韓国の方々も含めメロウ関係の方々から、あちこちの会議室にたくさんの「お悔やみ」を頂戴しました。ありがとうございました。
 この件について、弔電読み上げの後で司会者を通じて「このほか、インターネット上からも多数の弔電を頂戴しました」とご紹介させていただきました。

 逗子の火葬場へは、故人の好きだった湘南海岸に沿った道を通ってもらいました。
 我が家から、まっすく腰越海岸へ。左折して、七里ガ浜、由比ガ浜、若宮大路を横切って材木座と進んでくれました。晴天に恵まれ、オバアチャンとの最後のドライブを楽しみました。
 これもいい供養になりました。

 ということで無事葬儀が終わりました。

 なお、葬儀屋さんからのアドバイスを2つ。

 ・葬儀の前後に盗難などにあう方が多い。

  とくに、近親者が火葬場にいっている間に「チワッ。花屋です。追加のお花の代金を頂きに来ました」などといって集金していくケースが多い。だまされない様に。モロモロの支払いは絶対に現金払いはせず、請求書をチェックして振込にするように。

 ・後日、弔問に見えて「実は、オバアチャンの古いお友達で葬儀には間に合わなかったけど、お参りさせてください」という方も要注意。家族の隙を見てお供えしてあるお香典の中身だけを抜いていくよしです。

 以上、ながくなってしまいました。ご免なさい。

 最後に、嬉しいニュースです。
 2月に故人の曾孫が誕生します。6月にもう1人誕生予定です。
 「葉っぱのフレディー」を思い出しますね。

タイトルRE: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1523
投稿日: 2005/01/17(Mon) 23:03
投稿者季寿

マーチャンさん

お母様のお通夜から葬儀に至るまでの様子を、詳細に亘りご報告いただき有難うございました。

その時の様子が手に取るように判り、また情景が目に浮びます。

二人のお曾孫さんがご誕生の予定とか、きっとお母様の生まれ変わりでしょうね。

お母様のご冥福をお祈り致します。

マーチャンさんもお疲れが出ませんように、ご自愛下さい。

     季寿

タイトルRe: RE: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1525
投稿日: 2005/01/19(Wed) 17:12
投稿者マーチャン
季寿さん

 実は、お葬式の話を長々と書いて顰蹙ものかと心配していました。お読みいただき、ありがとうございました。

> 二人のお曾孫さんがご誕生の予定とか、きっとお母様の生まれ変わりでしょうね。

 はい。元気で明るく、愉快な人だった、オバアチャンのDNAを少しでも受け継いで、楽しい人生を送ってくれると信じています。

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1524
投稿日: 2005/01/19(Wed) 06:23
投稿者KAME(亀井)
マーチャン、今日は
オバーチャンの最後の様子からお葬式まで、感動しながら、拝見しました。
目に見えるように読ませて頂きました。
立派にお送りされたマーチャンに感動しました。
>
>  最後に、嬉しいニュースです。
>  2月に故人の曾孫が誕生します。6月にもう1人誕生予定です。
>  「葉っぱのフレディー」を思い出しますね。

良いニュースですね、母上の生まれ代わりですね。

お疲れでませんようにご自愛下さい。

KAME(亀井)

タイトルRe^2: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1526
投稿日: 2005/01/19(Wed) 17:16
投稿者マーチャン
KAME(亀井)さん

 いつも、お励ましいただきまして、ありがとうございました。

> マーチャン、今日は
> オバーチャンの最後の様子からお葬式まで、感動しながら、拝見しました。
> 目に見えるように読ませて頂きました。

 「まあまあ、こんなことまで書いてしまって」とオバアチャンも苦笑していることと思います。

> 立派にお送りされたマーチャンに感動しました。

 と、とんでもない。
 バタバタしていただけです。

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1528
投稿日: 2005/01/19(Wed) 17:46
投稿者さんらく亭(杉本孝昭)
参照先http://homepage2.nifty.com/tsug/
マーチャンさん
お疲れのところ詳しくご報告いただき有難うございました

当方97歳(数え年では99)の母を昨夏から施設でお世話になっていますので他人事と思えず最終回までじっくりと拝読させていただきました

いづれその日が来るのは間違いないのでたいへん参考になり(特に第4回目)世間体や業者のいいなりではなくまごころの篭もった見送りをしてやりたいとあらためて思いました

ま、とかく準備をしていると案外「その日」は遠退くものです。役に立つ日が近くないことを願いつつ、重ねて厚く御礼申し上げます

     
       さんらく亭@甲子園

タイトルRe^2: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1531
投稿日: 2005/01/20(Thu) 09:47
投稿者マーチャン
さんらく亭さん

> ま、とかく準備をしていると案外「その日」は遠退くものです。役に立つ日が近くないことを願いつつ、重ねて厚く御礼申し上げます

 はいはい。昔から準備のいい人は長生きするといいます。
 おかあさま、どうぞ、大事にしてさしあげてください。

タイトルRe: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1529
投稿日: 2005/01/19(Wed) 20:40
投稿者パープル
マーチャンさん、こんばんは。

 一連のシリーズ大変感動致しました。
 その場に居るような気持ちで拝読致しました。
 そして、色々と参考にもなりました。
 
 華やかなお花とハーモニカの童謡葬でのお見送り、
ご近所の皆様とのご様子・・・心洗われるようでした。

 私事で恐縮ですが、17年前、父は最愛の母を祭壇無し、
 遺影を花で埋め、弔辞とモーツァルトのレクイエムで
 送りました。
 お坊さんも無しです。
 父は、自分の意思を大切に致しました。 
 
 母の命日は、お母様と同じ1月9日です。 


               ♪パープル

タイトルRe^2: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1532
投稿日: 2005/01/20(Thu) 09:55
投稿者マーチャン
パープルさん

>  一連のシリーズ大変感動致しました。
>  その場に居るような気持ちで拝読致しました。
>  そして、色々と参考にもなりました。

 いえいえ。相変わらずのドタバタ劇でした。
 でも、吉本興業的介護のあとですからやむを得ませんが。

 ただ、こういうお葬式ができましたのは、とてもいいご近所に恵まれたからです。「いいご町内」というものは、一朝一夕には出来上がりません。振興団地を37年かけて「いいご町内」に作り上げてきたのは、バアチャンの世代です。感謝です。我々の世代もがんばらなくっちゃ。

>  私事で恐縮ですが、17年前、父は最愛の母を祭壇無し、
>  遺影を花で埋め、弔辞とモーツァルトのレクイエムで
>  送りました。
>  お坊さんも無しです。
>  父は、自分の意思を大切に致しました。

 いいお話ですね。 

> 母の命日は、お母様と同じ1月9日です。 

 ええっ。それは奇遇です。

 長々とした下手な文章を読んでくださってありがとうございました。

タイトルRe^3: オバアチャン・バイバイ 最終回
記事No1533
投稿日: 2005/01/20(Thu) 12:18
投稿者ポテト
>  ただ、こういうお葬式ができましたのは、とてもいいご近所に恵まれたからです。「いいご町内」というものは、一朝一夕には出来上がりません。振興団地を37年かけて「いいご町内」に作り上げてきたのは、バアチャンの世代です。感謝です。我々の世代もがんばらなくっちゃ。

マーチャンも思い出がいっぱいだから
今年1年は何かにつけ思い出しそうですね。
私の母も亡くなって14年もたちますが、夢に見ることがあります。

お坊さんのいないお葬式は都会ではよくあるようです。
お墓にはおさめるのでしょうね。