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タイトル痴呆症→脳萎縮症
記事No574
投稿日: 2003/09/29(Mon) 20:35
投稿者ザックス・杉本 
皆さん こんにちは

 先日の朝日新聞にある社会福祉士の方が上記の呼び方の変更を提唱していました。いい提案だと思います。
 外来の名前も「物忘れ外来」とか「メモリー外来」とかに。痴呆という人格無視の呼び方を、先ずメロウから無くしましょう。

タイトルRe: 痴呆症→脳萎縮症
記事No604
投稿日: 2003/11/03(Mon) 08:56
投稿者えー
ザックスさん  こんにちは

脳萎縮症という言葉は懐かしいです
じつはもう15年くらい前に頭がしびれるので
頭の検査をしてもらいました
そしたらそのときのお医者さんがこう言いました
「あなたは私と同じ年なのに大分脳が縮んでいますね
 もう少し脳を広げる薬をあげましょうか?」

私はそんなもんいらんと言って帰ってきました。
それ以来頭のしびれはありませんがよく考えると
あのとき既に痴呆症だったのかも

                えー

タイトルRe^2: 痴呆症→脳萎縮症
記事No606
投稿日: 2003/11/03(Mon) 09:21
投稿者ザックス・杉本
えーさん  こんにちは

> それ以来頭のしびれはありませんがよく考えると
> あのとき既に痴呆症だったのかも

まさか、そうだったらこんな書き込みは出来ませんよ。(~_~;)
まあ、麻雀など萎縮防止にはいいようですね。勿論パソコンも。                

タイトルRe^3: 痴呆症→脳萎縮症
記事No656
投稿日: 2003/11/18(Tue) 07:32
投稿者えー
 ザックスさん

レスありがとうございます
ところで昨日アルツがついに出ました
ゴルフ場で
いつものように貴重品のロッカーに入れました
ご承知のように暗証番号を入れるやつです

終わってからいつもの暗証番号を入れたらロッカーが
開きません
二度やったところでブーと鳴りました


係りの女性が飛んできてお客さん暗証番号は何番ですか?
私はいつもの番号を言いました
彼女はそれは違います
あなたの番号はこれこれです

私はその番号にまったく見覚えがありません
けれどもその番号で見事開きました

これってアルツでしょうね

                えー

タイトルRe^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No657
投稿日: 2003/11/18(Tue) 14:51
投稿者ザックス・杉本 
えーさん

> これってアルツでしょうね

 ノーです。(^_^;) 単なる物忘れです。

 詳しくはアルツの定義をパソコンでお調べ下さい。忙しいので済みません。

タイトルRe: 痴呆症→脳萎縮症
記事No575
投稿日: 2003/09/30(Tue) 16:25
投稿者マーチャン
ザックスさん、こんにちは
>
>  先日の朝日新聞にある社会福祉士の方が上記の呼び方の変更を提唱していました。いい提案だと思います。
>  外来の名前も「物忘れ外来」とか「メモリー外来」とかに。痴呆という人格無視の呼び方を、先ずメロウから無くしましょう。

 いい、呼び方があるといいですね。

 ただ、オバーチャンをみていて、つくづく思うのですが
トシをとって呆けるのって、そんなに悪いことではない、
東北に「二度わらし」という言葉があるそうですが、これ
も、ライフサイクルの一つとして、本人も周囲も、社会も
受容していくーーーそれでいいんじゃないかと思えてきま
した。

タイトルRe^2: 痴呆症→脳萎縮症
記事No662
投稿日: 2003/11/20(Thu) 12:26
投稿者あや
マーチャン こんにちは。

>  ただ、オバーチャンをみていて、つくづく思うのですが
> トシをとって呆けるのって、そんなに悪いことではない、
> 東北に「二度わらし」という言葉があるそうですが、これ
> も、ライフサイクルの一つとして、本人も周囲も、社会も
> 受容していくーーーそれでいいんじゃないかと思えてきま
> した。

 私もそう思いますが、やさしく面倒をみてくれる人がいればの
話。私のように誰もいないのはどうしましょう。

 息子と道を挟んだ所に住んでいる90歳の女性と道端ともだち
になりました。どっちが捕まえるのか、もう7・8度会話してる
でしょうか、エンドレスマイクのように毎回話を聞いてあげます
が、最近、私の顔を見て、覚えてくれるようになった気がしてう
れしいのです。
 一度部屋の近くで会って、お邪魔したのですが、覚えていませ
んよね。しきりに誘ってくれます。また行かなくてはと…。
 別れの時に「あんたはやさしい顔してるね。名前はなんだっけ
すぐ忘れてね」と言ってくれる言葉を忘れることはできません。
 
 呆けたる人との会話冬隣
なんてのはだめでしょうか。            あや

タイトルRe^3: 痴呆症→脳萎縮症
記事No667
投稿日: 2003/11/20(Thu) 20:46
投稿者マーチャン
あやさん
 
>  呆けたる人との会話冬隣
> なんてのはだめでしょうか。

 あやさんの、やさしい気持ちが伝わってくる書き込みですね。
 
 でも、私だって、この話はじめてだったかしらーーーと自信がなくなることが、よくあります。
 そこで「前に一度話したかもしれないけど」という枕詞をつけて話します。
 相手も熟年だったりすると「おれ、前に聞いたかなぁ。このごろ忘れっぽいから」なんていいます。

 まだ60代でこれだから。先が思いやられます。

タイトルRe^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No674
投稿日: 2003/11/21(Fri) 18:30
投稿者あや
マーチャン

>  あやさんの、やさしい気持ちが伝わってくる書き込みですね。
 
ありがとうございます。

>  でも、私だって、この話はじめてだったかしらーーーと自信がなくなることが、よくあります。
>  そこで「前に一度話したかもしれないけど」という枕詞をつけて話します。
>  相手も熟年だったりすると「おれ、前に聞いたかなぁ。このごろ忘れっぽいから」なんていいます。
>
>  まだ60代でこれだから。先が思いやられます。

よくわかります。「前に一度話したかもしれないけど」いい枕ですね。
「何べん同じことを言うんだ」と言われる前に、これをつけましょう。
11月18日の神奈川新聞の「照明灯」にいいことが書いてありました。
40歳を越えたら体のどこかに故障があることのほうが正常とのこと。
街医者の早川一光さんの「老い方練習帳」(角川書店刊)を読むとおも
しろそうです。               あや

タイトルRe^5: 痴呆症→脳萎縮症
記事No677
投稿日: 2003/11/21(Fri) 20:00
投稿者マーチャン
あやさん

> 40歳を越えたら体のどこかに故障があることのほうが正常とのこと。
> 街医者の早川一光さんの「老い方練習帳」(角川書店刊)を読むとおも
> しろそうです。

 まったくですね。

 シニアのくせに、カラダのどこにも故障がなくて、頭脳明晰で、物忘れ一つしない人がいたら可愛くないですね。
 付き合いたくないです。

タイトルRe^2: 痴呆症→脳萎縮症
記事No578
投稿日: 2003/10/08(Wed) 18:44
投稿者まや
マーチャン(さん)、こんにちは

 ザックスさん、横から失礼します。

 ザックスさんの提案なさる「物忘れ外来」という言い方には賛成
です。いい呼び方が考えられ、普及するといいですね。

>  ただ、オバーチャンをみていて、つくづく思うのですが
> トシをとって呆けるのって、そんなに悪いことではない、
> 東北に「二度わらし」という言葉があるそうですが、これ
> も、ライフサイクルの一つとして、本人も周囲も、社会も
> 受容していくーーーそれでいいんじゃないかと思えてきま
> した。

 私も大賛成です。高齢になって「物忘れ」以上に「現状認識が
できない」ことも神の恵みではないかと思えています。
 母の郷里で母を「偲ぶ会」をしたのですが、母の妹(96歳)も来
ました。その叔母が自分の姉が他界したことや、郷里の家の跡取
りだった弟が他界して家長が甥に変わっていることも認識できず
に「姉さんはどこにいる?」とか「(弟の)○○さんはどうした
かね?」と何度となく聞き返すのです・・・何度答えても、また
聞き返します。でも、それだけのことです・・・

 今日も母がいた施設の施設長さんと、そんな呆けることの「神
の恵み」のことを話してきました。

まや 〜所沢〜

タイトルRe^3: 痴呆症→脳萎縮症
記事No580
投稿日: 2003/10/11(Sat) 09:37
投稿者マーチャン
まやさん、ザックスさん

>  今日も母がいた施設の施設長さんと、そんな呆けることの「神
> の恵み」のことを話してきました。

 いいお話ですね。

 赤ん坊が「カーチャン、ないない」なんていうのを「恥ずかしい」とは誰も思わない。人生の過程のある段階にあることを関係者全員が分かっているからです。
 また、言葉の発達に個人差があるのもそれほど気にしていない。

 だったら、年寄りが、ボケでヘンなことをいっても「恥ずかしい」と思うほうがおかしい。当然のこととして受け止めるべきと思います。
 赤ん坊と同じで衰退にも個人差があるのも当然と思います。

 私たちも、すでに、物忘れは始まっていますよねぇ。(私だけかなぁ)。これも人生のある過程に来ている証拠と客観的に受け止めて、
「まめにメモする」などの被害防止策を講じたほうがいいのでしょうね。嘆いていても始まらない?

タイトルRe^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No682
投稿日: 2003/11/22(Sat) 01:44
投稿者まや
マーチャンさん、こんばんは!

 コメントありがとうございます。

>  だったら、年寄りが、ボケでヘンなことをいっても「恥ずかしい」と思うほうがおかしい。当然のこととして受け止めるべきと思います。
>  赤ん坊と同じで衰退にも個人差があるのも当然と思います。

 そうですよね。個人差があって当然・・・差がないほうがおかしい
ですよね。

>  私たちも、すでに、物忘れは始まっていますよねぇ。(私だけかなぁ)。

 アハハ・・・私も物忘れはとっくに始まっています。

> 「まめにメモする」などの被害防止策を講じたほうがいいのでしょうね。嘆いていても始まらない?

 私なんかメモしたら、メモした途端に忘れていて、そのメモした紙
をどこへやったか(内心大騒ぎして)探しています(T_T) だからと
いって、メモしないとどうなることやら???

まや 〜所沢〜

タイトルRe^3: 痴呆症→脳萎縮症
記事No579
投稿日: 2003/10/11(Sat) 09:10
投稿者ザックス・杉本 
まやさん、こんにちは

 RES有り難うございました。

>  ザックスさんの提案なさる「物忘れ外来」という言い方には賛成
> です。いい呼び方が考えられ、普及するといいですね。

 この言葉は、新聞にある人が意見として書いてあったのです。普及するといいですね。


>  私も大賛成です。高齢になって「物忘れ」以上に「現状認識が
> できない」ことも神の恵みではないかと思えています。

 そうですね。丁度、木が枯れるように。

 先日、母を介護してくれた人が来て、小柄だった母のあまり手を通していない洋服を母に戴きます、と持っていってくれて、1年以上も取っておいた甲斐があった、と喜んでいます。

タイトルRe^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No683
投稿日: 2003/11/22(Sat) 02:18
投稿者まや
ザックス先生、こんばんは!

 コメントありがとうございます。

>  先日、母を介護してくれた人が来て、小柄だった母のあまり手を通していない洋服を母に戴きます、と持っていってくれて、1年以上も取っておいた甲斐があった、と喜んでいます。

 そうですか? 私も今少しずつ母のものを整理していますが、なか
なか捗らなくて・・・母が小柄だったので洋服を探すのに苦労しまし
たので、処分するのもモッタイナイなんて思うんですね。着物もこれ
また着丈がないし、今は和服を着る方も少ないのでどうしようかと思
い悩んでいます。

まや 〜所沢〜

 

タイトルRe^2: 痴呆症→脳萎縮症
記事No576
投稿日: 2003/10/05(Sun) 18:06
投稿者miyamoto
> 東北に「二度わらし」という言葉があるそうですが、これ
> も、ライフサイクルの一つとして、本人も周囲も、社会も
> 受容していくーーーそれでいいんじゃないかと思えてきま
> した。

同感です。
「二度わらし」には愛情を感じます。

タイトルRe^3: 痴呆症→脳萎縮症
記事No577
投稿日: 2003/10/07(Tue) 09:00
投稿者ザックス・杉本 
miyamotoさん お早うございます

> > 東北に「二度わらし」という言葉があるそうですが、これ
> > も、ライフサイクルの一つとして、本人も周囲も、社会も
> > 受容していくーーーそれでいいんじゃないかと思えてきま
> > した。

 聞いたことがあります。そう言う意味だったんですね。了解しました。(^_^;)

タイトルRe^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1649
投稿日: 2005/03/24(Thu) 22:25
投稿者花山
「二度わらし」良い言葉ですね。老いを意識して恐くなりサイトをいじって、ここに来ました。でもこの言葉を知って、少し安心しました。いい子になろう!!って。

タイトルRE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1650
投稿日: 2005/03/25(Fri) 08:56
投稿者マーチャン
花山さん

>「二度わらし」良い言葉ですね。老いを意識して恐くなりサイトをいじって、ここに来ました。でもこの言葉を知って、少し安心しました。いい子になろう!!って。

 本当に、そうですね。ボケるのも悪くないです。

 亡母も、何もかも忘れていましたが、なぜか「ほめること」「感謝すること」でけは忘れていませんでした。
 デイサービスでの昼食時に「美味しいですねぇ」といったのはウチのオバアチャンだけ。
 給食のオバサンは「ウルウルしちゃうわ」と感激しておられました。
 また訪問看護婦さんにも「ありがとうございました」とちゃんといっていました。

 私も、あんなふうに見事にボケたいです。

 

 

タイトルRe: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1651
投稿日: 2005/03/25(Fri) 12:28
投稿者ポテト
参照先http://www.mellow-club.org/yokocho/mc462/mc462.html
>  亡母も、何もかも忘れていましたが、なぜか「ほめること」「感謝すること」でけは忘れていませんでした。
>  デイサービスでの昼食時に「美味しいですねぇ」といったのはウチのオバアチャンだけ。
>  給食のオバサンは「ウルウルしちゃうわ」と感激しておられました。
>  また訪問看護婦さんにも「ありがとうございました」とちゃんといっていました。
>
>  私も、あんなふうに見事にボケたいです。

私もそんなふうになりたいものです。

タイトルRe: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1652
投稿日: 2005/03/25(Fri) 19:54
投稿者季寿

マーチャンさん

>>  亡母も、何もかも忘れていましたが、なぜか「ほめること」「感謝すること」でけは忘れていませんでした。
>>  デイサービスでの昼食時に「美味しいですねぇ」といったのはウチのオバアチャンだけ。

実家へは週に一度ほど母の様子を見に行っていますが、どんなものでも食べますし、
食べた後には必ず「ご馳走様、ああ美味しかった」と云ってくれます。
こう云ってくれると張り合いがありますね。
食事を済ませたすぐ後(30分以内)でも、まだ食べてないとか、腹が空いたとかいいますが
痴呆が進んでくると、満腹感をつかさどる神経も麻痺してしまうのでしょうか?

    季寿

タイトルRe^2: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1658
投稿日: 2005/03/28(Mon) 11:49
投稿者のぞみ
季寿さん

> 食事を済ませたすぐ後(30分以内)でも、まだ食べてないとか、腹が空いたとかいいますが
> 痴呆が進んでくると、満腹感をつかさどる神経も麻痺してしまうのでしょうか?

義母を見ていると、そう思います。
持病の糖尿病があるので、ドクターから食事管理も言われて
います。
好きなだけ食べてもらうか?、上手に食事管理して
今以上 病気が進まないようにするか?、
試行錯誤の毎日です。

忙しい中でも、毎週お顔を見せてくれる季寿さんがいて
お母さまは幸せですね(^^)

お母さんの普段の生活を理解してくれる人がいることは
毎日介護するものにとっても 癒しになると思います。

タイトルRe: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1653
投稿日: 2005/03/26(Sat) 10:38
投稿者さんらく亭(杉本孝昭)
参照先http://homepage2.nifty.com/tsug/
マーチャンさん、皆さん こんにちは

いいお話を有難うございました
わたしの母(やがて98歳)は去年夏からグループホームでお世話になっています。車で20分の距離なので一日おきぐらいで訪ねています。園内では2番目の高齢です。「食事のあと必ず”あ〜、おいしかった、ご馳走さま”と手を合わせてくださるのは杉本さんだけです」 とスタッフさんから聞かされたので母に「えらいえらい」と褒めてやったらニコニコ笑って喜んでいました。人間いくつになっても自分のしたことが認められて褒められるのは嬉しいもんですね

しばらく前まではよく昔の嫌なことや恨みつらみを思い出しては愚痴を言ってましたが、近頃は悪い記憶は忘れてしまったみたいで幼いころの京わらべの童謡などを口ずさんだりして童子に帰ったようです。食事のあとの挨拶も本人は良いと思ってやってるのではなく、幼時の習慣が自然に戻ってきたのでしょう。このようにして、いづれはあちらへ還っていくことでしょう

こういう生きかたもいいもんだなと思う今日この頃です


     さんらく亭@甲子園

タイトルRe^2: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1654
投稿日: 2005/03/26(Sat) 20:56
投稿者オアシス
さんらく亭さん、みなさん こんばんは。マーチャン横合いから
失礼します。

98歳、元気で明るい素晴らしいお母様ですね。

一番感心したのは 常に感謝の言葉が 自然に出る立派さです。

本当に幸せな晩年を送っておられるお母様ですね。

47歳、67歳で ん十年前に父、母を亡くした私メ、老々
介護の暮らしは幸か不幸か経験せずに過してきましたが、
貴方様のお母様のように 素敵な生き方をなさってる親ごさん
の様子を聞くにつけ 親が 元気に幸せな長生きをして
くれたらなぁと思った次第です。

何時までもお母様を大切になさってあげてくださいね。

                     オアシス

タイトルRe^3: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1660
投稿日: 2005/03/28(Mon) 17:51
投稿者さんらく亭(杉本孝昭)
参照先http://homepage2.nifty.com/tsug/
オアシスさん
あたたかいコメント有難く拝見しました

> 一番感心したのは 常に感謝の言葉が 自然に出る立派さです。

以前から普段の会話でいちばん多く出るのが「おーきに、ありがとさん」でした。
母の入っているグループホームには9人居られますが職員さんが私に言うには他の人から「ありがとう」と言われることは滅多にないそうです。それが不思議です。感謝の言葉が出るのが立派だとも思いませんが、有難いと感じない人はさびしい生き方をしてこられた方だとお気の毒に思います

> 何時までもお母様を大切になさってあげてくださいね。

有難うございますm(__)m


     さんらく亭@甲子園

タイトルRe: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1655
投稿日: 2005/03/27(Sun) 15:54
投稿者花山
皆さんの投稿を見ていますと、「わらし」にもどって、その時自然にどんなことでも感謝の言葉が出るかですね。
その理屈が解っていても、いざ自分がそうなると、どうか・・・?
よい子になるための準備って?

タイトルRe: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1656
投稿日: 2005/03/28(Mon) 09:58
投稿者マーチャン
花山 さん

>皆さんの投稿を見ていますと、「わらし」にもどって、その時自然にどんなことでも感謝の言葉が出るかですね。
>その理屈が解っていても、いざ自分がそうなると、どうか・・・?
>よい子になるための準備って?

 それは、一概には言えません。難しい問題です。
 でも、せめて、今のうちに感謝の日々を送っておく、万一、よくボケしたとしても、それまでに免じて、周囲の方、カミサマが許してくださるのでは。

タイトルRe^2: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1659
投稿日: 2005/03/28(Mon) 11:57
投稿者のぞみ
マーチャン、ツリーのみなさま、こんにちは。

5年前に、ドクターに「認知症ですよ」と診断され
(当時はその言葉ではありませんでしたけど)、
一緒に暮らし始めましたので、みなさまのお話興味深く読ませて
もらっていました。
幸い、今でも介護度1で軽度ですが、年齢が比較的若いだけに
笑い話だけじゃすまない時もあります(^^;;

> >よい子になるための準備って?

義母と暮らして思ったこと
当たり前のことかわかりませんが ボケても、若い時の性格が
そのままなんですね。
思慮深く、いつも感謝の気持ちを持っていた義母は
ボケてもそのまんま。
良い人だったからよい子になった・・・と思っています。

>今のうちに感謝の日々を送っておく、万一、
>よくボケしたとしても、それまでに免じて、
>周囲の方、カミサマが許してくださるのでは

全く、同感で〜す。
私も、そう信じて歳を重ねて生きたいと思っています。

「人間、120才になるとみなボケる」とどこかで聞いたような
気がしますから。
誰でも多かれ少なかれ、ボケからは避けられないと思っています
から。

タイトルRe^3: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1661
投稿日: 2005/03/28(Mon) 18:10
投稿者さんらく亭(杉本孝昭)
参照先http://homepage2.nifty.com/tsug/
のぞみさん、 マーチャン、みなさん、こんにちは

> 「人間、120才になるとみなボケる」とどこかで聞いたような
> 気がしますから。
> 誰でも多かれ少なかれ、ボケからは避けられないと思っています
> から。

ボケるのは加齢による自然現象で病気ではないと思っています。母は最近とくに耳が遠くなって耳元で大声を出さないと理解できないので介護士さんが補聴器をどうですか?と相談してこられたのですが、私は「耳が遠くなったのは病気ではなくて自然現象だから自然にまかせます。聴こえないと困る程の大事な用はありませんわ」と答えました。機器を装着しなくても筆談や身振りでコミュニケーションは十分です

ボケも神様が与えてくれた終末へ行く途中の一里塚ですから避けようとするのは無理です。ボケを肯定し容認してこれとどう付き合うか、だと思います

最近グループホームへちょくちょく訪問してスタッフの邪魔にならない程度にボランティアでお手伝いをしていますが、幼時から成年期でのその人の家庭環境が老後に大きい影響があると(当然のことですが)つくづく感じます


           さんらく亭@甲子園

タイトルRe^4: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1662
投稿日: 2005/03/29(Tue) 10:13
投稿者えー
のぞみさん、 マーチャン、みなさん、こんにちは
さんらく亭さん

ご立派です
なかなか出来ることではありません

うちの母も耳が遠くて補聴器を買ってほしいというので
随分高いのを奮発しました
何年も前の話ですが

でもほとんど使わないのです
やはり使いにくいのでしょうか
私も最近耳がかなり遠くなってきています
テレビをどうしても大きくしてしまいます

 ボケないためにはなるべく手を動かしたほうがいいようです
それもいつもしていないような難しい運動がいいようですよ
それでもボケたらあとは自然に任せるしかないでしょうね

母はボケて幸せだと思います
ボケないと腹が立つことが多いでしょうね
ボケないでグループホームなんかに入っている人は
しんどいと思いますねー

さんらく亭さん
どうでしょうか

                   えー

タイトルRe^5: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1663
投稿日: 2005/03/29(Tue) 18:48
投稿者さんらく亭(杉本孝昭)
参照先http://homepage2.nifty.com/tsug/
えーさん  こんにちは

> やはり使いにくいのでしょうか

補聴器をつけると聞きたくない音まで拾ってしまうので神経によくないという意見を知り合いの医師から聞いたのでやめたんです

>  ボケないためにはなるべく手を動かしたほうがいいようです

私がグループホームを訪ねるといつも皆さんが集会室で所在なげにボンヤリしていますが母は新聞の折込チラシで紙屑籠や小物入れなどを作っては仲間やスタッフに上げて喜ばれています。昔から手先が器用な人だったので「芸は身を助ける」です。運動じゃなくても手先を動かすのは脳のはたらきの活性化にいいようです。本人はいいと思ってやってるんじゃなく、好きなことをやってるだけです

> 母はボケて幸せだと思います
> ボケないと腹が立つことが多いでしょうね
> ボケないでグループホームなんかに入っている人は
> しんどいと思いますねー

痴呆でなくては入れないんです。医師から「痴呆度2」との診断書をもらって入居しました。ついでですが、私は痴呆という言葉に抵抗がありません。まして差別や侮辱とは思いません。言葉狩りには不快感を覚えます。痴呆は人生行路の流れの中での自然な一時期です。入居者の皆さんと接していてそう思います。いづれ私もそうなりますが避けようとは思わないですね


       さんらく亭@甲子園

タイトルRe^6: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1664
投稿日: 2005/03/31(Thu) 18:33
投稿者白兎山人
>言葉狩りには不快感を覚えます。

 私も同感です。
言葉が問題ではなくて、言葉を使う人間の意識の問題だと思っています。
「盲判」を何と言えば良いか悩んでる、なんて話はお笑いです。
「女中」を「お手伝いさん」と呼ぶようになったころから、引きずっている話で
馬鹿馬鹿しい限りです。
「放送禁止用語」なるものを覗いてごらんなさい。いかに馬鹿げているかが判ります。
もっとも、馬鹿げていると思う人と、当然と思う人と、どちらが多いのか知りませんが・・・
       

タイトルRe^7: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1665
投稿日: 2005/03/31(Thu) 22:16
投稿者オアシス
白兎山人さん、さんらく亭さん、こんばんは。

> >言葉狩りには不快感を覚えます。

私も全く同感です。

 この問題は○○が差別の徹底的批判で活動したころに遡ると
おもいます。
 まさに言葉尻、揚げ足とり。
 本当に差別意識をなくする結果じゃなく、思いやりや 心から
の労り、同じ人間として尊重すべきなのを 却って捻じ曲げて
しまってるように思えます。

> 馬鹿馬鹿しい限りです。

 精神分裂病を統合失調症と変えたのなんかは良いほうでしょう。
 痴呆症を認知症では訳がわかりませんね。

 柳澤桂子先生の『ヒトゲノムとあなたの遺伝子を読み解く』
 で以下のように仰ってます。

 なぜ私にその遺伝子があたえられないで、あの方が受け取って
 くささったのでしょう。
 それは誰も選ぶことのできない偶然の結果です。云々

 後天的な障害についても 同じようにたまたまとも思えます。



       

タイトルRE: Re^6: RE: Re^4: 痴呆症→脳萎縮症
記事No1666
投稿日: 2005/04/01(Fri) 15:55
投稿者マーチャン
白兎山人 さん

>「女中」を「お手伝いさん」と呼ぶようになったころから、引きずっている話で
>馬鹿馬鹿しい限りです。

 まったく同感です。
 戦前の女中さんは、すべての家事が立派にやり遂げられるスキルをお持ちでした。
 そういう方を「お手伝いさん」なんて呼ぶことこそ、失礼です。これぞ差別です。