釜山からの帰国 2001年6月7日(木)
ビートル号で博多へ ビートル210便15時45分。出港まで時間がある。
数人を除き、8名は朝食後 西面(ソミョン)の街の朝の散歩としゃれ 込む。 メインストリートを横切り裏通りへと歩を進める。 朝の街は通勤の人と学生が並んでバスを待っていたのが目をひいた。 そぞろ歩きつつ、看板を眺めていると「PC」の文字と携帯電話の店が心なしかよく目に付く。 と、ある通路とビルの前で「仁祖十四年通信使入江戸城図」なる文字の入った壁状の陶板が目に飛び込んできた。江戸時代、密に交流していた「朝鮮通信使」の3列縦隊を俯瞰した図が描かれている。 奇しくもこの場でこうして友好の歴史に出会えるなんて嬉しくなった。慌ててシャッターを押し、いれぶん さんと皆の後を追った。 その後、ホテルへ引き返し土産を買うべく免税店や百貨店へ夫々散って行った。13時45分ロビーに集合。大きな荷物がどっさり集まる。そこへ入国時のガイドさんと専用車も迎えて下さった。港へ向かう途中民芸店へも立ち寄り最後の買物をした。 かくして、交流会での韓国元老坊の皆さまの温かいおもてなしに触れ 慶州観光では素晴らしい芸術品に目を奪われた。 美味しい韓国料理に舌鼓を打ち、皆様のご厚意に感激した数日間であった。カムサハムニダ! 帰りの船の中は、ひたすら眠る人、アルコールを嗜み饒舌になる人、 お喋りに夢中な人とそれぞれであった。 18時40分、船は無事に博多港に到着。 簡単な解散式を済ませ、めいめい家路へと急いだ。 折も折り、帰りの列車の中吊り広告に『こころの交流 朝鮮通信使展』福岡県立美術館・6月10日〜7月15日 と、あった。 釜山の街の陶板を思い起こした。4日間の旅は終わったのである。 来年はアジア初めてのワールドカップサッカー共同開催を控え、こうして、韓国シニアの皆様と交流会を持てたことに感謝申し上げます。 韓国の皆さま、シンセマーニ チョッスニダ! 堅香子記
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