図書館から借りてきた 小菅桂子:にっぽんラーメン物語 駸々堂出版(1987) 第一話 シナソバは、なぜラーメンとよばれるようになったのか 第二話 日本で初めてラーメンを食べた人 第三話 にっぽん中華料理史 第四話 シナチクはいかにしてラーメンの上にのるようになったか 第五話 浅草来々軒誕生物語 第六話 さっぽろラーメンのルーツを求めて
この本を大幅に加筆し、再構成した本を私は持っている。 小菅桂子:にっぽんラーメン物語 講談社文庫(1998) 第一話 日本で最初にラーメンを食べた日本人 第二話 来々軒物語 第三話 竹家食堂物語 第四話 ラーメン命名白書 第五話 カンスイなくしてラーメンなし 第六話 シナチクはなぜラーメンの上にのったのか 第七話 ご当地ラーメン物語 第八話 長崎ちゃんぽん考とチャルメラ 第九話 にっぽん中国料理史
この二つの本を読み比べてみると、当然後者の本は前者の内容を含んで、その後の研究成果が追加されている。
ラーメンを食べた水戸黄門 黄門が招聘した儒学者朱舜水は、中国の麺を作ってご馳走した。 スープは豚の腿肉(ももにく)を塩漬けにした中国式ハムの火腿でとった。 麺は小麦粉につなぎとして藕粉(レンコンからとった料理用の澱粉)を使った。 さらに薬味は「川椒(チュアンヂャオ)」「青蒜絲(チンスァンスウ)」 「黄芽韮(ファンヤアヂウ)」「白芥子(バイヂェヅ)」 「芫妥(妥は草冠)(イェンスイ)」の5種類であった。 「川椒」は山椒のことだが、四川省の山椒という意味である。 「青蒜」は葉ニンニクのこと。「黄芽韮」は黄色いニラの若芽のこと。 「白芥子」は白カラシのこと。「芫妥(妥は草冠)」は香菜のことであった。
浅草来々軒は横浜税関の役人を辞めた尾崎貫一がはじめた。 おそらく横浜時代にえた南京町の人脈がバックアップになったのであろう。 北大正門前にあった竹屋食堂が札幌ラーメン発祥の地と言われる。 台湾の大学から転任してきた北大医学部長今裕(こんゆたか)博士にひいきにされ 本格的支那料理店となる。 後者の本には、喜多方ラーメンの元祖源来軒の先代の潘欽星のことも書いてある。
長崎ちゃんぽんについては、前者の本では長崎新地の四海楼の陳平順が名付けた吃飯(シャポン)がチャンポンになったという説を紹介していたが 後者の本ではその他の説、「まぜこぜ」からきたという説も紹介している。
横浜中華街は広東省の出身者が多く、長崎は福建省出身者が多い。 いずれにせよ中国南方の味である。
ラーメンのカンスイについては、別にまとめたものもあるが あとで機会があれば紹介したい。
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