> > > 小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)
この本を改めて読んでいます。 最初に読んだ本は公立図書館にあったもので いま手元で読んでいるのは大学図書館の本です。
著者の小林信彦は両国出身で、下町育ちを自認する。 彼の立場でいえば、柴又は下町では決してない。 それは山田洋次監督の戦略だったと著者は思う。 垢抜けない東京近郊の柴又は、ドラマの中では別な世界になる。 東京のはずれに残る田舎。 しかし、ひょっとしたら、まだ粋といった感覚のかけらが残っているかもしれない世界がある。 どこにもない寅さんの柴又。しかし、どこかにあってほしい柴又。
渥美清は自分ことを書いた文章の中で一番ひかるのが、松竹新喜劇「寛美の阿呆まつり」のプログラムに寄せた文章である、とそう著者は指摘する。 その中で渥美は、自分は欲張りである、ケチである、自分一人だけができるだけいいものに数多く接し、会い、触れたいと思うと書いている。ほかの役者には、なるべくそんないい目にあってほしくないと本音を書いているわけである。藤山寛美という役者の一挙一動に笑い崩れる観客のうねりに、渥美はネタマシサを感じることを隠さない。観客が心から楽しんでいる。自分も寛美の芝居に満足して、帰る途すがら、よかったなー、上手いなー、憎たらしいなー、と一人でその余韻をかみしめる姿を文章にして、藤山寛美の芝居によせているのであった。 渥美清は観客と一緒に藤山寛美の芝居を楽しんだ。だが、彼も役者だったから、ライバルとしての嫉妬心があった。たんなる観客には嫉妬心はない。純粋に楽しめばよい。
横溝正史の推薦で「八つ墓村」の金田一耕助をすることになった(テレビで人形佐七をしたとき、松方弘樹の佐七で子分の辰が渥美清だった。この時の渥美の演技を横溝は評価した)。 興行的には「八つ墓村(1977)」はヒットして会社に利益をもたらしたが、批評家たちの評判はよくなかった。 「ああ声なき声(1972)」は評判はよかったが興行としては失敗だった。 著者の小林は、監督の今井正が渥美のよさをひきだすには大物すぎたと分析する。そして、戦後10年くらいの時期の話なのを1972年に作るのは大アナクロニズムであったと分析する。 私はよいテーマなら時代を超えて訴えるはずと思うのだが、映画そのものが衰退産業になって観客もまじめな映画を歓迎する観客がそういなかったからなのだろうと判断する。 かくして、寅さんのイメージがあまりにも強すぎるので、「ああ声なき声」のためわざわざ自ら出資して、寅さんと違うイメージの作品で自分の可能性を確かめようとした試みは失敗し、「山田洋次が監督した時だけ、渥美清は成功する」という世間の噂を肯定したような結果になった。 体のこともあり、寅さんシリーズが会社の営業に貢献するようになってきて、会社の期待もあり、世間の期待にこたえるためにも、渥美はほかの映画や路線の可能性をあきらめたのだろうか。
寅さんシリーズを総括して 著者は、このシリーズはやくざ映画のパロディであるという。 これをもっと明確に論理的に論文にしたのが佐藤忠男であると著者は指摘している。 それは 1971、キネマ旬報社の「世界の映画作家14 加藤泰・山田洋次」の巻頭の「二人の作家と日本の文化潮流」である。 果てしなく失恋を繰りかえしながら不死身でいられるというのは一種の恐るべき能力 「男はつらいよ」シリーズは暴力とファナティックな要素をぬきにしたやくざ映画である 寅が失恋するたびに、スクリーンの中にも、映画館の中にも祝祭感がみなぎる
ということで、同じ本を読んでいますが、前回気がつかなかったこと(思わなかったこと)や新しい発見などあり、よい本は何度も読んだほうがいいと思います。
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