岩波新書509 (1997) 手塚治虫1989年死去の後に出た本。
1945年6月の大阪大空襲の時、手塚は工場の監視哨、つまり火の見櫓の上で敵機の来るのをずっと見ていた。 普通は警戒警報のサイレンが鳴り、みんなは防空壕に入るのだが、その時はなぜか警戒警報がなかった。 雲の間から突然B29の大編隊が現れた。 手塚は逃げる暇もなくそのまま見守っていた。 大編隊は突然焼夷弾の雨を降らせた。 手塚は監視哨の上で頭を抱えてうずくまっていた。すぐ横を焼夷弾が落ちていった。 回りはみんな焼けて、手塚は櫓を駈け降り淀川の堤防に走った。 そこにも爆弾が落ちて避難していた人々はたくさん死んだ。 助かった手塚は宝塚の実家に帰ろうとして阪急線づたいに歩いた。 とても空腹な彼は民家に寄り、おにぎりを二個もらう。 実家に帰ってから、再びその民家に寄った時、その後の空襲でその家は焼けて、おにぎりをくれた女性の行方はわからなかった。 こうして手塚の終戦がきた。 「生きていてよかった」という感慨が彼をとらえた。 生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまう。手塚はその人生の最大の体験を一生書き続けようと思った。 色々なマンガを描いたが、彼の根本のテーマはそれだけだという。
手塚はウォルト・ディズニーのアニメーションに影響を受けた。 ミッキーマウスに耳が二つあるが、鉄腕アトムもかならず角が二つある。角ではなく髪の毛なのだが、それはディズニーの影響である。 不思議なことに、ミッキーがどちらを向いても、いつも耳が二つ見える。これはおかしなことだが、これはアニメーションの魔術というか、一種のトリックである。 アトムも、角が一本になったことはない。アトムがどんな向き をしても、かならず角が動いて二本に見えるようになっている。 ここもミッキーの耳から完全に影響を受けている。 アトムの上半身が裸なのも、ミッキーと同じである。昔のミッキーはズボンだはなく、パンツをはいていた。アトムもパンツである。 ミッキーの指は四本であり、アトムもはじめのころは四本だった。気持ちが悪いからというので読者から非常に不評だったため、あとで五本に直した。 なぜミッキーは指が四本なのか。手塚は後にディズニー本人に質問した。「五本描いてアニメーションにすると、動かすうちに六本に見えるからだ」とディズニーは答えた。
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