知恩院編 山本正廣著
法然の父は武士であったが 勢力争いに巻き込まれ殺されてしまった。 敵討ちをするという法然に対して、父は敵討ちなど決してしてはいけないと言って死ぬ。 そこで、法然は仏門に入り修業する。
「念仏をしていると、眠気におかされて、念仏の行いを怠ってしまうことがある。どうしたら眠気を取り除けるでしょうか」 「目のさめたときに、念仏すればよろしい」
往生は、決まっていると思えば決まっている。決まっていないと思いこむと決まっていないものとなる。 念仏で往生できるか疑っていたとしても、とにかく念仏すれば往生できるのだ。
それまでの女性蔑視の考え方に対して、法然は、本来の仏教思想は男女わけ隔てがないと教えた。
正如房という後白河天皇三女(式子内親王)から、法然にもう一度会いたいという手紙が届いた。 法然は正如房に手紙を書いただけで会わなかった。 改めて会うと、また会いたいとか、死にたくないと執着心がおこる。 人は、先に浄土に行くか、あとに行くかの違いだけで、いずれは同じところに往生できる。 どうか先に浄土で待っているようにと申し添えた。 正如房の心を寄せる人は藤原定家とされているが、法然だったかもしれない。 法然は、正如房の気持ちを知って、直接会わずに手紙を書いて教えを伝えたようだ。
以下は信者の質問に対する法然の答え 「百万遍の念仏を百回称(とな)えれば必ず往生できると言いますが、命が短く、できない者はどうすればよいのですか」 「百万遍を百回称えても往生しますし、十念でも往生しますし、また一遍の念仏でも往生はするのです」
「毎日の念仏は、数を定めなくて、称えるだけ称えるべきなのですか」 「数を定めておかないと、人は怠けてしまうようになるので、定めておくのはよいことです」
「にら・ねぎ・にんにく・肉などを食べて、きつい臭いが消えていなくても、常に念仏申してもよいのでしょうか」 「念仏には、なんにも差しさわりないのです」
「父母より先に死ぬのは、罪であるといいますが、どうでしょうか」 「この世界ではよくあることで、悲しいけれど人間の力ではどうしようもありません。だから罪ではないのです」
「酒を飲むことは罪になるのでしょうか」 「本来は飲むべきではありませんが、この世の習慣でもありますから、罪はないでしょう」
「念仏を行じている人が、神社に参詣するのは、いかがですか」 「差しつかえありません」
「お産をしたとき物忌すべきだといいます。何日間すべきでしょう」 「仏教では物忌はありません。気になるのでしたら何日でも気のすむようしたらいいでしょう」
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