著者の安達生恒は京大農学部卒で、愛媛大学と島根大学の教授を勤めた。 昭和61年発行の本
例によって、おもしろいところを紹介します。 ・静岡県で立派な経営をしているという園芸農家に会いに行ったところ、経営は立派だったが、食事がほとんど外食であることに驚いた。 東京のサラリーマンみたいだと著者が言ったら、所得も生活もサラリーマン並みというのが目標だと答えたという。
・「あなた方はなんのために農業をやっているのですか」と質問した。「お国のために」農業をやっている農民はほとんどいない。 1955年、生糸の暴落で養蚕が不況になったとき「お国」は桑畑の減反を強い「桑を10アール引っこ抜けば2000円出す」と言った。2年後、生糸は反騰し、減反に応じなかった農民は得をした。 「農林省のいう反対をやればもうかる」という戯言(ざれごと)が流行したのはこの頃だった。
・補助金制度批判 小学校の廃材で牛舎を建て、肥育牛を100頭経営している知人がいる。赤字を出していない。 ところが、こういう方法で牛舎を建てようとすると補助事業からはずされる。建築基準により、柱は鉄骨何センチのものを使え、屋根は、壁はというように細かな規定がある。(補助事業は建設業者のためにある?) 知人が三階建ての急勾配の屋根の畜舎を建てようとして補助事業に申請したが、基準にあわないと受け付けられなかった。やむをえず基準通りの牛舎を建てたら、毎冬、牛の飼養管理労働の何倍か雪下ろしに浪費すると知人は嘆いている。
・農業を川にたとえる。川上は生産者、川中を流通業者や食品産業、川下を消費者の立場とする。 川中からみる農業、川下からみる農業というものは、川上から農業をみたり論じたりする場合とずいぶんちがってくる。 農産物の自由化問題をとってみても、川上の立場からは絶対に反対である。そんなことをすれば日本農業は破壊する。 ところが川中の加工業者や食品産業にすれば、日本の農産物は高すぎる。安いものはどんどん輸入したらよい。 川下に位置する一般消費者の場合も、米は余っているのになぜ値段が下がらないのか、政府がいくら補助金を出しても安くならないのなら自由化したらどうかという声が強い。
いったいどうしたら日本の国全体が良くなるのでしょうか。
・ある地区で養鶏をすすめたが、地鶏を注文したがどこにもない。やむなく「現代鶏」を入れてみたら、卵は産むが卵は温めない、本能を失った鶏だった。 ある青年は冗談まじりに言った「羽根と足のない鶏を学者は開発してくれないかね」嘴は必要だが羽根と足は不要、それだけエサ効率がよくなるというのだ。
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