[掲示板へもどる]
一括表示

[No.15608] 牧野富太郎「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ」 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/09(Mon) 09:58
[関連記事

俵浩三:牧野植物図鑑の謎、平凡社新書017

誰よりも植物を愛して
植物については神様みたいに詳しかった植物学者。
しかし、大学を卒業していないから東大講師でおわった。
大学教授よりも植物のことを知っていたから、教授にはうとまれ
おせじを言うタイプではなかったから、その人生はつらい反面もあった。
そのような牧野富太郎を庶民の味方として贔屓にする、いわば判官贔屓の日本人も多い。
よって、永遠の人気の植物学者として伝記の本に扱われることが多い。野口英世と通じる点がある。

明治初期のころなので、学校制度も整っていないから
牧野富太郎が受けた教育は当時としてはやむをえない面もある。
もっとも、学に志ざし(肩書きなど求め)形式を整えようとした者は、大学などに進学し専門の勉強をしたのだろうが。

東大教授を相手にしてもだめだと思った牧野富太郎は、ロシアの世界的植物学者マキシモヴィッチに直接指導を受けようとした。
マキシモヴィッチから快諾の返事届いたが、ロシアに行く前にマキシモヴィッチが亡くなったため実現しなかった。

牧野富太郎は昭和2年に札幌へ行き「マキシモヴィッチ生誕百年記念会」に出席した。
マキシモヴィッチに直接教えを受けたことのある宮部金吾が北大の植物学教授だったから。
札幌からの帰りに仙台で発見したササに、愛妻の名前をつけスエコザサと名づけた。

牧野富太郎は「植物随筆」でもユーモアを披露している。
「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ、それはこんなもんじゃ」

この本では
 牧野富太郎「日本植物図鑑」大正14年9月24日発行
 村越三千男「大植物図鑑」大正14年9月25日発行
の二つに注目して、背景にはこれらの本の出版社の競争があり
著者どうしもライバルであったろうと推定している。

まだ途中までしか読んでいないので、続きは後日報告します。


[No.15609] Re: 牧野富太郎「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ」 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/09(Mon) 19:24
[関連記事

> 俵浩三:牧野植物図鑑の謎、平凡社新書017

>  牧野富太郎「日本植物図鑑」大正14年9月24日発行
>  村越三千男「大植物図鑑」大正14年9月25日発行
> の二つに注目して、背景にはこれらの本の出版社の競争があり
> 著者どうしもライバルであったろうと推定している。

村越三千男は旧制中学校で植物学と絵画を教えていた。

はじめは二人は協力関係にあった。
明治39年6月から毎月刊行された「普通植物図譜」は
牧野富太郎校訂・村越三千男写生図・高柳悦三郎編集(東京博物学研究会・博物図譜発行所)であった。

村越三千男が主宰する東京博物学研究会は、「普通植物図譜」が好成績をあげたので気をよくし
「野外植物図譜」をはじめ数冊の本を出した。
そして「植物図鑑」を出したのだった。
この「植物図鑑」の初期の版には「校訂者・牧野富太郎、編者・東京博物学研究会、右代表・村越三千男」となっていたのが、後期の版になると「右代表・村越三千男」の部分がなくなっていた。
ここには専門家としての牧野富太郎の意志が反映していたのではないかと著者は推定する。出版社も牧野富太郎の発言は無視できないものになっていったろうから。

最初は仲よく図鑑の仕事に協力しあっていた二人だったが、二人とも自尊心も強く相手のあら探しをするようになってライバル関係になっていったらしい。
村越三千男著「植物大図鑑」には松村任三東大名誉教授など三人の博士が序文を書いている。これらの三人の博士は、牧野富太郎が著書などで批判していた学者であった。
つまり、牧野富太郎と村越三千男の対立は応援団がついていたようなのである。

互いにあからさまには非難しないが、間接的に相手を酷評することがあった二人であったが、
昭和30年になって村越三千男原著、牧野富太郎補筆改訂「原色植物大図鑑」が刊行された。
これは昭和15年刊行の村越三千男著「内外植物原色大図鑑」の改訂版に相当するものであるが、朝日賞、日本学士院会員、東京都名誉都民、高知県佐川町名誉町民など功成り名を遂げた牧野富太郎にしてみれば、決定的に差のついた村越三千男の図鑑の改訂版を出すことに対して大らかに対応できる気持ちになったのであろう(村越は昭和23年に亡くなっている)。

この本の著者は千葉大学園芸学部卒業で北海道の短大教授(実はこの短大からの編入生を何人か受け入れ指導してきました)であるが
牧野富太郎と村越三千男の確執についての推論を二人の植物学者(東大と都立大の名誉教授)に問い合わせると、研究者牧野富太郎に対して村越三千男は学者ではない単なるアマチュアだから、格が違うと言われてしまう。
しかし、牧野富太郎は村越三千男を批判したであろうという説には反対しなかった。
多くの植物図鑑を作り、それらは好評であって、世に広く啓蒙活動につとめた村越三千男の業績はそれなりに評価されるべきであろう。