[掲示板へもどる]
一括表示

[No.15629] 里中満智子:タマタマ女 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/15(Sun) 22:10
[関連記事

里中満智子は漫画家
現在、持統天皇を主人公にした「天上の虹」を執筆中 。

「週間小説」(1994.1.7−1995.12.22)連載したものを本にしたので、すでに読んだ方もいるかもしれない。

3匹の猫と6匹犬を飼った経験から著者は次のように断定する。
猫は気ままで、クールで、自分のペースで暮らしている。
気が向かないと呼んでも来ないし、食事の時間だけはしっかり覚えていて
それ以外のことは何度教えても「言いつけを守ろう」などという特殊な態度は見受けられない。
 わたし、あなたに養われているからって言いなりにならなくてよ。いいえ養われているとも思っていないわ。あなたのそばに居てあげるのよ。
恩知らずのわがまま女、でもそんな女に振りまわされる喜びを知った男は、なかなかその女を手放せないものなのだろう。
 手に入れにくいもの、手に入れたもののうかうかしているとすぐに所有権をなくしてしまいそうなものを、人は大切に思いたがる。苦労して手に入れたものには愛着がわく。ものの値打ちは、それを欲する人の価値観で決まるのである。

犬はたいていの場合、呼べばすぐそばに来る。いつもいつも呼んでもらうのを待っている。売れない芸人のように、いそいそとうれしそうに寄ってくる。主人の顔色をうかがい、何か言いつけられると喜んで従い、いつでもべったりとそばに寄り添いたがる。
 犬型の女は、「かわいいやつ」と思われるだろうが、征服欲はかきたてない。
 猫型の女は、男をハラハラ、イライラさせながら君臨する。いつまでたっても「全面的にあなたのものよ」という態度をみせない女は、男にせつない努力をさせ続ける。

女性のみなさん、もし「もてたい」のなら、好きな男に迫られてもすぐになびかずに少しじらすことをおすすめする。男って意外と素直でウブだから、ちょっとじらすと、本人が思っていた以上に燃えてしまうのだ。じらしすぎるとあきらめて去っていくからほどほどに。

男性のみなさん、もし「もてたい」なら、猫型の男のフリをして見せることをおすすめする。好きな女があなたに振り向いてもすぐ有頂天にならないこと。30パーセントぐらい信じさせて、50パーセントぐらいは「他に好きな女が居るのかも...」と思わせて。残り20パーセントは、謎のままにしておく。

本当は「もてたい」なんて考えていない人がもてる。
もの欲しげじゃない、というのは、真にかっこいいものだから。

  ーーーーーーーーーーーーー

「赤と黒」のジュリアン・ソレルのようなテクニックみたいだ。
ある韓国の女性が日本に来て、日本人の恋人をもった。
彼女はその日本人男性と十分結婚する気があったのだが
韓国流のマナーにしたがって、なかなかイエスと言わなかった。
何度か良い返事をしないでおいて、(いよいよ最後だ)次の機会にはイエスと言おうと内心計画していたのだが、
そのとき男は去っていった。もう少し早くイエスといえば良かったとは
韓国と日本のマナーの違いが知らなかったからと、彼女は気がついて反省したが後悔しても遅かった。

人間を裏切る猫と、人間につくす犬の話は
あのメーテルリンクの青い鳥にも出てくる。
人間に忠実なのは猫ではなくて犬だというのは、世界的な常識らしい。

さて
この本のタイトルだが
たまたま「女」に生まれた著者が
男はこうあるべきもの、女はこうあるべきもの、という世間の常識は
いつも正しいとは限らない
たまたま男に生まれただけ、たまたま女に生まれてだけなんだから
もっと肩の力をぬいてもいいのではないか
と言いたいようです。(と私は私なりに感じた)
小学生の時は、たいてい女子の方が男子より発育が早いから
背の高さ、腕の長さ、力の強さは女子のほうが有利な場合が多い。
特に著者は骨格にも恵まれ、身長も高く力も強かったから自信があった。
クラスの女子たちが男子にいじめられると、著者のところに「助けて」と寄ってくる。
理由を聞いて、あきらかに男子に非があると判断すると、その男子のところに行って
いじめた女子にあやまるようにとすすめる。
言われた男子はプライドが傷つくのか、照れくさいのか、それても理屈ではかなわないイラだたしさをもてあますのか
最後は暴力にうったえてくる。
著者も子どもだったから、相手の男子のプライドまで思いやるゆとりはなかったと今になって反省するが、ともかくそのときは男子の暴力に彼女は対抗せざるをえなかった。
体力のまさる著者が男子とやりあうと、たいていは勝ってしまう。
一件落着、めでたしめでたし。正義は必ず勝つ、悪の栄えたためしはない。といい気持ちになっていた著者。

負けたくやしさでしくしく泣きながら去っていく男子に対して「男のくせにめそめそするなんて」と女の子同士で笑いあっていた。
この場面をふりかえって、著者は「男のくせに」という言葉は、世間なみの言葉であって、これは今ならセクハラの一種に相当すると気がつくわけです。


[No.15642] Re: 里中満智子:タマタマ女 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/18(Wed) 22:15
[関連記事

> 里中満智子は漫画家
> 現在、持統天皇を主人公にした「天上の虹」を執筆中 。

この本の中で
釣り漫画でおなじみの矢口高雄のふるさと、秋田県増田町に
「まんが美術館」ができあがったので、そのオープニングに他の漫画家たちと一緒に行ってきたことを書いている。 (設立1995年当時は増田町であったが、今は合併の結果横手市となった)
オープニングにあたって「手塚治虫・矢口高雄二人展」を開催した。
故手塚治虫の原画、仕事の足跡、矢口高雄の全仕事の内容が展示された。
常設展として、漫画家六十人(その中には著者里中満智子も入っている)の原画と、韓国や台湾などアジアの漫画家たちの原画も展示された。

この本で著者が言いたいのは、漫画家の妻のことである。
オープニングセレモニーには、手塚夫人もかけつけた。
手塚夫人は、「リボンの騎士」のサファイアを思わせる美人で、上品でスマートで
「私は手塚を尊敬し、愛している」というオーラのようなものが、いつも全身からたちのぼっている感じを受けて、夫人に会うと著者はいつも感動する。

漫画家の奥様といっても、当然だがいろんな人がいる。
夫人たちがみな「漫画家の理解者」であってくれれば(漫画家の里中満智子も)うれしい。
だから手塚夫人や矢口夫人を見ていると、ほっとするし、うれしくなる。
でも中には「私は夫の作品なんて興味がないわ。わけのわからない不規則な生活をして、こっちだって苦労するわ。収入が安定していれば、たいていのことは我慢するけれど...」という人もいないわけではない。

漫画家が亡くなると、原稿の山が残る。それは将来の漫画界にとって貴重な宝物になるし、本人の創作の歴史である。
しかし、「どうせ私にはわからない世界だから」と、ゴミあつかいにしたり、いっさい管理せずほったらかしにしておく未亡人もいる。

夫と妻の関係がうまくいっていれば、自然と妻は夫の「歴史」を大切にするようになる。妻に「私には関係ない」と言わせてしまう責任は、夫の愛し方に問題があったせいかもしれない。
愛がなくなれば、夫婦であるが故に他人同士以上にギスギスしてしまう。夫が亡くなれば「捨ててしまって、せいせいした」と言われる運命になる原稿の行方が気にかかる。

   ーーーー

このあと
夫が浮気を繰りかえしても、仕事を大切に考える妻もいる。
夫は浮気せず、仕事熱心で、奥さん一筋なんだが、そういう夫の仕事に全然理解を示さない妻もいる。
互いにさめた関係でも、仕事の内容への尊敬の念をいだく妻もいる。
アツアツなんだけど「うちの人、こんなの描いていたの?」という妻もいる。
一口に「愛があれば」「愛がないから」と言えないのが「夫の仕事に対する妻の態度」なのであると結んでいる。

考えてみると太宰治の妻も、他の女と心中され、自分は子どもと残されて
夫の性格破綻者の存在は救いようがないと思っていただろうが、作品については
世間の批評家の批評に対して、太宰のオリジナリティは認めていた。
資料をただ写すだけではなく、太宰の感性による付加的なもの、創作性の存在を主張していた。

また話は変わるが
漫画家が亡くなると、その漫画は永久におしまいになってしまい続きなど考えられないはずだが
生前に漫画家が自分の後継者を指名しておくと、その漫画は生き続ける。
指名された漫画家が後継者として続きを描くのである。
そり例は「のらくろ」の田川水泡に見られる。
同様に、ドラえもんの作者が亡くなったが、アシスタントが漫画家の遺志を継いでドラえもんは不滅である。
昨年亡くなったクレヨンしんちゃんも、遺族と出版社の合意で、作品は受け継ぐ漫画家の手で続きが描かれるという。