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[No.15657] ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/21(Sat) 17:36
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文春新書439

著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。
著者は、ペットを食べることを推奨しているわけではなく、人類の歴史の上で
ペットを食べる行為は過去にもあったし、現在も地球上のどこかで行われていることを報告して、そのあとに現代人は一般にはペットを食べない理由を述べている。

まず、犬を食べた歴史について述べている。
つづいて、猫を食べた歴史も述べている。

ここでは、世界中で犬猫が食べられたことを少し紹介する。
犬の場合
 シベリアのエニセイ川流域で発掘された犬骨が約2万年前、スペインのアルペラ洞窟の半野生犬の絵が約1万4千年前と推定される。
 これらの犬は食べられたという証拠はないが、1万2千年前と見られる旧石器時代末のデンマーク海岸部貝塚から発見された犬骨には食用に供された痕跡があり、ドイツのフランクフルト近郊の中石器時代の遺跡で見つかった犬の頭骨はうち砕かれ中の脳髄がとりだされた痕跡が残っていた。
 日本では天武の殺生禁断令(675年)がある。「4月1日から9月30日まで、牛・馬・犬・猿・鶏の肉をたべてはならない、もし犯すことがあれば罪とする」とある。犬を食べる人がいなければこういう犬肉食禁令は出ない。当時犬食いの習慣があったことになる。
 江戸時代の歌人戸田茂睡が秋田佐竹藩で犬料理を饗応されたことや、大田蜀山人が薩摩には子犬の臓物をぬいて米を詰めた「えのころ飯」のあることを報告している。
 張競の「中華料理の文化史」には、「内蒙古、東北、華北、西北、華南などの地域で出土した豚、羊、犬、馬、山羊、鶏などの動物の中で、最も多いのは豚で73カ所から、続いて羊は59カ所から、三位の牛は57カ所から、犬は第四位で50カ所からそれぞれ出土している」と書いてある。
 清朝の李鴻章がロンドンに交渉に行ったとき、英国外相から送られたシェパードを賞味したという話がある。
 周恩来は犬好きで有名だったが、北朝鮮で「全狗席」(犬尽しフルコース)に金日成首席や田中角栄首相と一緒に舌鼓をうったという。
 19世紀末、普仏戦争でプロイセン軍に包囲されたパリでは食べるものがなくなり、
動物園のゾウ、カンガルー、シマウマや犬まで食べられたことが当時の新聞に載っている。

猫の場合
 スペインのデ・ノラの「料理書」(1529年)には、猫の丸焼きのレシピが載っていた。
 イギリスのジェームズ・ハートは「新奇譚」(1633年)で、「ごくたまに故意か、あるいはそれと知らずに猫を食べてしまうこともあったが、何ら不快を感じなかった」と書いている。
 中国では、SARSの感染源ではないかと疑われているジャコウネコ科のハクビシンを食べる。ハクビシンは、果子狸と呼ばれている。「貍」(狸の正字)、「貍の左部分+猫の右部分」(JISにこの文字がない)(猫の本字)などから推察されるように、狸肉と書きながら実は猫肉を食べていた可能性がある。狸も猫も人をよく化かすから(?)
 日本も中国の影響を受けて、狸汁の何パーセントは猫汁かもしれない。
 フロイスは「日欧文化比較」で「ヨーロッパ人は雄鶏や鶉、パイ、ブラモンジュ(ブランマンジュ:アーモンドをすりつぶしたミルクのゼリー寄せ)などを好む。日本人は野犬や鶴、犬猿、猫、生の海藻などを喜ぶ」


[No.15658] Re: ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:   投稿日:2010/08/21(Sat) 22:39
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  男爵 さん、みなさん、

> 著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。
> 著者は、ペットを食べることを推奨しているわけではなく、人類の歴史の上で
> ペットを食べる行為は過去にもあったし、現在も地球上のどこかで行われていることを報告して、そのあとに現代人は一般にはペットを食べない理由を述べている。

山内氏はただのフランス文学屋ではなく、パリ大学で人類学などもやり経済人類学者、民族学者などの肩書きをもっているようです。そこから思い出すのは画家の岡本太郎です。このひともやはり、パリの大学で人類学を修めています。普通の画家とどこかちがうユニークさの所以でしょう。

  人間の幅が、常人とはすこし、違うのかもしれません。

> ここでは、世界中で犬猫が食べられたことを少し紹介する。
> 犬の場合
>  江戸時代の歌人戸田茂睡が秋田佐竹藩で犬料理を饗応されたことや、大田蜀山人が薩摩には子犬の臓物をぬいて米を詰めた「えのころ飯」のあることを報告している。

 寛永20年、西紀1643年刊行の『料理物語』をひらくと第五 獣の部は鹿で始まり、犬で終っています。そこにはただ、吸い物、貝焼き、とあるだけです。貝焼きと云うのはたぶん貝の上に肉を載せて焼くのでしょう。

 訳著者の平野雅章によると、当時は三代家光のころで、日本のかなり広い地域で飢饉が多発したというから、食えるものは何でも、の時代ではなかったでしょうか。こんな時代に日本初といわれる料理書が出たことには平野氏も首をかしげているのですが…。

> 猫の場合
>  スペインのデ・ノラの「料理書」(1529年)には、猫の丸焼きのレシピが載っていた。

 ネコ食の記録を読んで、あっしもチョッとしらべてみると、これはスペインといっても、独立機運のつよい、また独自の言語をもつカタルーニャ人の書いた本のようですね。原著はスペイン語(カステッラーノ)でなくカタルーニア語で書かれていた。

 名前もスペイン語では、たしかにロベルト・デ・ノラですが、じっさいはロベルトゥ・デ・ノイアと自称していたようです。料理の先生だったらしく、名前の前にマエストロをつけて呼ばれていたらしいです。つまりスペイン語ではマエストロ・ロベルトですが、地元ではメストゥレ・ロベルトゥとか呼ばれていたような。

 伝記は不明なところがかなり多いのですが、たぶん当時のナポリ王国で王室の料理長か何かをしていた風があります。

 ネコ食のところは、「うまいから食ってみよ、しかし脳みそだけは食うなよ」とか書いてあるようですね。


[No.15660] Re: ヒトはなぜペットを食べないか 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/22(Sun) 07:07
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唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんにちは
>
> > 著者山内昶(ひさし)は京大フランス文学科卒の大学教授だった。

> 山内氏はただのフランス文学屋ではなく、パリ大学で人類学などもやり経済人類学者、民族学者などの肩書きをもっているようです。

本の扉には、甲南大学名誉教授、フランス文学、文学理論、社会思想、人類学、比較文化学、文化史を研究すると書いてあります。

さて
なぜペットを食べないか
それはタブーだから。
タブーとは「敷居を踏むな」「逆さ水をさすな」「二人箸を使うな」のようなもので
それは無意識につくられた境界を越えないことを意味するということです。
敷居は空間を内と外に切断してコスモスを作り出すものと説明してあります。
「逆さ水をさすな」「二人箸を使うな」は、この世とあの世の区別に関わっているわけです。
集落の境界に置かれた道祖神も同じような意味があるわけです。そこから外は異質の世界を意味します。

このタブーが性文化や食文化にもあてはめられます。
簡単に説明すると
 性文化  自分 ー 近親* ー 他人
 食文化  ヒト ー ペット* ー 野鳥獣
すなわち、性文化における近親は境界に相当してます。
食文化におけるペットも同様に境界に相当するわけです。
この本には人類学的観点から、特別な理由で特定の民族は、わざわざタブーとなっているものを食べたりする例を説明してありますが省略します。

蛇足ですが
この本の始めのほうに
日本人留学生がオランダ人のガールフレンドを殺して食べたという事件がパリで起こったことを回想しています。
そのときヨーロッパ人は、マルコポーロはやはり正しかったと思ったそうです。
「東方見聞録」にジパングでは、捕虜が身代金を払えないと、殺して(料理して)その肉を会食すると書いてあるのだそうです。