歴史文化ライブラリー 香月洋一郎:記憶すること・記録すること 聞き書き論ノート 聞き書きによる記録とは、きわめて恣意的な性格を持つ資料である。
宮本常一のほめる 聞き上手岩倉市郎 岩倉は一ヶ月かかって良い語り手を見つけ 聞き上手で、相手に思うように話させる人であった。
宮本の言葉 話というものは語り手が年を取ってしまうとだめになることが多いんです。 やはり自分に情熱があって、その情熱をぶちまけていく中で話が立派な「語り」になるのであって 年取ってくるというと説明的になり、筋だけを話すようになる。いわゆる「話」になってしまう。 生き生きした「語り」、そこには精(スピリット)があるという。語り手に力がこもっていれば行間から伝わってくる何者かがある。それを聞き取って文章にするとき、すくいとれないかもしれないのだが。
旧家の聞き書きをすませた宮本に、地元の世話役が声をかけた。 「あの家で話を聞かれたんですか。あそこの主人は自分の家に都合のいい言い伝えしか話さんでしょう」 「それでいいんです。そうじゃなきゃ人間は生きていけません」 宮本はそう返していた。 著者自身が、ある考古学者から言われたことがある。 「民俗学者って根性が悪いね。じいちゃんの話を感心して納得して聞いているようなあいづちをうっておきながら、一方で眉にツバつけてんだから。とてもあんなまねはできないよ」
聞き書きするときはともかく聞いたことをそのまま記録して (あとで)資料の検証に慎重を期すのは当然のことであろう。 進藤「宮本先生、民俗というのは別の言葉で言うと、古くから伝わってきたもの、ということですね」 宮本「そうなんですがね、ひとつ条件がつくんですよ。自分はそれで生きてきた、という」
舌は頭の知らないことをしゃべる(ロシアの諺) 今から10年ほど前に ある人が「宮本常一の『土佐源氏』ってうそなんですって」と話しかけてきて 続いて「ショックです」といったという。 宮本の著作のなかで、おそらく最も知られていいるのは「忘れられた日本人」であろうが この書のなかでもっとも注目されてきたのは「土佐源氏」になろう。 これは宮本が目の見えない老人から聞いたライフヒストリーをまとめたもので、内容の多くが女性遍歴であるからであろう。
土佐源氏のなかにうそがあるというのは おそらく山田一郎の「土佐うみやまの書」を読んだからであろう。 山田は土佐源氏の追跡調査を行い、その老人の生涯が必ずしもすべてが 彼本人が語るような人生でなかったこと、また晩年は橋のそばの水車小屋で 訪れて来るだれかれにも、おもしろおかしく広い世間を渡り歩いてきた体験や 色ざんげや昔ばなしをして楽しんでおり、話は無類に上手で本当の話もあれば 作り話も含まれていたことなどを、その老人の孫にあたる老人やむらの人たちから聞き 報告されている。その文章が全掲書に収められている。
その頃 著者の身辺でもそのことが多少話題になった。 反応ははっきりと二つに別れた。 ひとつは前述したある人と同種の反応で もうひとつはけげんそうな表情をうかべて「それでなに」「だからなんなの」といった感じのものだった。 この本の著者は後者の立場である。
著者は宮本常一のフィールドでの姿勢や方法にひかれていた。 「土佐源氏」を読んでそれをすべて事実として受けることより、 この記録をもとに坂本長利が独り芝居を創り、講談の悟道軒圓玉が素話にしたてる、といった、ひとつの聞き書きが第三者に語りこまれて芸へと昇華していくさまに興味をひかれていた。
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語り手の嘘もまじる 聞き書きの資料 それでも 使える資料もあるはずだから そのまま記録する。
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