男爵さん、みなさん、
> 小島俊明:おとなのための星の王子さま、筑摩書房 あっしはその「星の王子さま」をいい加減にしか読んでいませんのでここに出てくる資格はありませんが、この箇所は王子様では大事なところのようですね。かれはapprivoiserということばを持ち出してきます。
これはグーグルでも、仏→日のばあい「飼いならす☆」仏→英で「tame★」とでてきます。
絆というのはキツネにいわせたことばで、その実、著者のことばです。
仏和などをみると、この単語は、野生の動物だけでなく人間にも使われるようですね。どうしようもない大人とか子供をなんとか大人しくさせるという場合に使われるのでしょうね。いまさっき見つけたのですが、エロイサ・ジェイムスという女流作家に「The Taming of duke」とかいう題の本があることを知りました。ラルースs'apprivoiserの訳語としてto become more sociableを採用しています。
また、時間がかかるといわれましたが、たとえば、よくヨーロッパの言語をやると、相手を呼ぶのに親称、敬称のふたつがあり、よほど親しくならないと親称は使えない、などとあります。たとえば、ドイツ語のDu,Sieなど。
☆ じつは飼いならされた、となっていましたが、これは不定法ですから当然「飼いならす」でなければいけません。(^_-)-☆
★ tameも to tameではないでしょうか。
「おとなのための星の王子さま」は1995年刊行の本だそうですね。ということは、ノストラダムス・ブームを思い出すと、またまた違う解釈が現れる可能性があること。これは否定できません。
たとえば、岩波の版権が切れた2005年には8種類の新訳が現れました、なにか異常!
だいたい、王子と云う訳語自体にも紋題がありそうですね。有名なマキャベッリの「君主論」も、フランス訳ではLe Prince(もとはイタリアなのでIl Principeですが)となっています。
大公と訳すのが適当だが、最初に訳した内藤濯が王子とやってしまったというひともあります。星の王子の「星」もオリジナルタイトルにはなし。なかには日本語題名を原題そのまま「プチ・プランス」としたものもあります。(川上勉・甘利美登利訳グラフ社刊。)
それから、科学的不正確さについては、あれは子供大人をとわず、すべてのひとに向けて、と云うことにはなっていますが、やはりいちばん読んでいるのは子供たち*ではないでしょうか。
ま、かれの大きな目的の一つは「教訓」をたれることであり、科学知識の普及ではなかったと、愚老は考えます。とすると、そこをあまりほじくってはと云う気もしてきます。(^_-)-☆
そういうものならフランスでいえば、ジュール・ヴェルヌに求めたら、とも思います。
ま、以上色々書きましたが、これはどうか、非科学的な紋爺の寝言とお聞き下さい。(^_-)-☆これは反論ではなく、ただの感想です。(^_-)-☆
* 序文で、この本を「大人に捧げたい」と書きながら文末では「子供だったころの」レオン・ウェルトに」で結んでいます。
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