岩波新書542
この本を読むのは二度目
演歌の源流は韓国か日本か。 これは、韓国説と日本説があって、結論は出ていない。(他にもいろいろな本を読んでの私の結論でもある) ただ、日韓の演歌はどちらもヨナぬきの五音階である。 韓国では、演歌のことをポンチャックといって、一部の文化人は 大衆の音楽だとしてまともにあつかっていない。
日本では、古賀政男は韓国で育ったので、彼の作曲したものは韓国の音楽の影響を受けているといった説が一時はやったが、いまは否定されている。 古賀の曲は当時の日本の音楽の影響を受けていたのは明らかで、具体的に指摘されるから。
にしきのあきらがいつか発言したことだが「もし、日本で在日の歌手が引き上げたら、紅白歌合戦は成り立たなくなる」というものは、真実だろうと思う。 あの力道山のように本人は否定していても、在日の人たちは、テレビで歌う歌手について 、この人とあの人は在任だといういうことは知っている。知っているけれど日本人には言わない。 それを聞くと私などびっくりするが、(指摘された歌手は)なるほど歌が上手で、いわゆる歌の心を知っている在日の歌手なんだと思う。 歌のうまい日本人の歌手もいるが、在日の歌手は意外に多いのだ。
要するに、演歌を歌わせたら韓国の歌手も在日の歌手も上手なのだ。 それは、日本人と韓国人の中に静かに潜む遺伝なのかもしれない。 ということで、演歌は韓国からはじまったのか、日本からはじまったのかは決められない。 たぶん、それぞれのところで演歌の源流に相当するものがあって、現代も演歌を楽しむ年代は、韓国にも日本にも健在なのだろう。
この本の中で 著者は孫牧人を1996年にソウルに訪ねる。 「他郷暮らし」はデビュー作で、東京音楽学校ピアノ科を卒業した孫牧人は 著者に「日本の歌謡曲も韓国にたくさん流れた。しかし、流れ込んできたのは日本の音楽だけじゃなく、世界の音楽が韓国にも流れ込んできたんです。世界の音楽に出会うことで、歌謡曲という新しい音楽は作られたんです。それは日本も韓国も同じことです。 歌謡曲は、西洋の音楽との出会いがもたらした日韓共通の新しい歌の形式なのです」という。
前回私が見落としていたのは孫牧人の次の言葉だった。 「韓国の歌謡曲が日本と決定的に違うことがある。それは、国を考え、故郷を想うこと。それが韓国の歌謡曲です。国外にいる人はなおさら国を想い、故郷を想う。国内にあっても、国を離れている歌詞や曲想で歌をつくる。歌うものもそういう気持ちで歌うんです」
孫牧人といえば、「木浦の涙」「カスバの女」「連絡線の歌」の作曲者である。 ただし、日本では久我山明という名前である。
この著者に会った3年後に、孫牧人は東京を旅行中に病気で亡くなる。85歳だった。
【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 http://dxb83macng.exblog.jp/12169837/
カスバの女 http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_0172.html ここのコメントのところに、日本時代の久我山明の説明があります。
日本の「鉄道唱歌」が韓国の「学徒歌」につくりかえられたり、日本の唱歌が韓国の愛国歌に転用された例は多いが省略する。 また、この本で「鉄道唱歌」とならんで日本で愛唱された「天然の美」は韓国には残らなかったと書いた著者のもとに、後日に読者から中央アジアにいるコリアンたちによって歌い継がれているという事実が知らされ、それから著者が中央アジアに調査旅行に行った後日談があるが、それはまたの機会にしたい。
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