ロンドンの自然史博物館に展示されていた マンテル夫妻の写真や業績 それらをおさらいをするべく ギデオン・マンテルの伝記を読みました。
マンテル夫妻が、イグアノドンの歯をいくつか採集して それを夫ギデオンが論文に発表してから、当時の学会での議論の末 恐竜イグアノドンとして認知されたのですが なにしろ当時は、化石は神様の失敗作を埋めたものとか、ノアの洪水の遺物だという人がまだまだいたのですから 化石だとしても、いつの地質時代の何という生き物なのか、誰も知らないわけです。
英国とフランスとドイツの学者が相談しながら、多数の意見がまとまったら、なんとなくみんなで認めようというようにして地質学や古生物学が少しずつできてきたのでしょう。 そうやって相談しながら、化石の名前も考えていった。 いわば、学問の創設期にあたります。
イグアノドンの全身化石は、のちにベルギーで発見されたから、これは実在したとみんなが確認できたけれど そうでなくて、マンテル夫妻の発見した歯だけだと、いつの間にか忘れさられたかもしれません。
ということで、最初のイグアナドンの歯の化石を、いつ誰が見つけたかということは、学問的には確認できないそうです。 いずれにせよマンテル夫妻が歯の化石を数個発見したことは事実ですが.... この本の著者はしたがって、妻メアリーが最初に歯の化石を発見したというのは、後世の伝記作家の創作ではないかと述べています。 (でも、これは有名な話ですから、誰でも知っています。それは伝説なのだと著者は考えるのです) それも一つの説だったかもしれませんが、確認する記録はないそうです。 おそらく、(外科医でもあった)夫ギデオンですらわからないのでしょう。いくつかそれらしいものが手元に集まってきて、もしかするとこれは大変な価値のある恐竜の歯ではないかと思うようになった。 が、どの化石がいつ、どこで採集されたかは本人も定かではなかった。と著者は書いているようです。
恐竜研究者としてライバルだったオーウェンが、ダーウィンの持ち帰った化石の鑑定をするなどして、しだいに有名になってくると、なんとかマンテルとの差をつけようとして、いやがらせをしたりしたことも、この本の著者は見逃さず記述しています。 オーウェンは「恐竜 dinosaur」の名付け親で、古生物学者です。 最初は2人は、化石を通じて古生物学を作っていったわけですが、誰もがまだわからない恐竜の化石(それらは恐竜かどうかも最初わからず、分類もよくできあがっていないから、数種の生物の歯や骨などが混在していた)を論文に書く時に オーウェンもマンテルもしばしば間違いをします。そして、訂正しながら学問が次第に整っていったのです。 だから、そういう時期に2人が論争をしたことで学問が進んだわけですが、友情よりもライバルの足を引っ張るオーウェンの行為が、この本の著者には目立ったようです。
それに対して、ライエルは変わらぬ理解と友情を持ち続けたようです。 ライエルは近代地質学の父と言われています。 地質学原理により「激変説」に止めをさし、「斉一過程説」を広めた、ダーウィン の先駆者と言えるでしょう。
デニス・ディーン著、月川和雄訳:恐竜を発見した男、河出書房新社
この本を読んで知ったのは 晩年、マンテルは妻と別居したこと、それだけでなく長男はニュージーランドに行ってしまうし、長女も父親の元から去ってしまったこと。 外科医の仕事よりも恐竜化石の研究に力を入れたことで、家族が離ればなれになったのでしょうか。 長男はニュージーランドで、絶滅した巨大な鳥の資料を父に送ってきて間接的に研究を支援し(まだ始祖鳥化石は発見されなかったが、鳥類と爬虫類の比較研究がされていたようです)、父の遺産としての文献や日記などは長男の子孫が南半球で保管していて、それらをもとに、この本は書かれたのです。
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