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[No.15740] アフリカを食い荒らす中国 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/11(Sat) 08:19
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アフリカを食い荒らす中国

著者のセルジュ・モッシェルはフランスのル・モンド紙の西アフリカ特派員
もう一人の著者ミッシェル・ブーレはスイスのレブド誌の外事課長
訳者は中平信也
         河出書房新社  2009年

中国人は石油を掘り出すと
中国人の民兵が警備する
中国製パイプラインで
中国人が建設した港まで運び
中国向けの中国製タンカーに積み込む。
道路、橋梁、そして
数万人の故郷を奪った巨大ダムを
建設する中国人。
中国料理しか食べないために
中国から食料品を輸入する中国人。
輸入できない中国野菜を
現地で栽培する中国人。
そして
人道に対する罪を犯す国を武装させ
国連安全保障理事会で
絶えずその国を守る中国人。

最も中国人の多い南アフリカでは、タボ・ムベキ大統領の弟メレスティ・ムベキが、2005年末に次のように書く。
「アフリカは原料を中国に売り、中国は加工品をアフリカに売っている。これは、アフリカとアフリカを植民地化した列強とのかつての関係とそっくりだ。(中略)アフリカが自らの工業化のために資源を温存するだけでは十分ではない。中国がある程度工業化したアフリカ諸国の脱工業化のために協力する必要がある」
中国にとり、アフリカ関係で「植民地」という用語を使うのはタブーである。この言葉が使われると、中国政府は不快感に似た怒りをずっともつことになる。
タボ・ムベキ大統領は弟の指摘を心にとめ、やがてそれを口に出すようになる。
同大統領は2006年末、南アフリカの学生を前に講演会で、中国との不平等な関係に安住すべきではない、不平等な関係は植民地とその支配者との関係と同じだと述べ、強い警戒感をもつよう聴衆に呼びかけた。
中国はこれに対して、レーニンの「植民地の争奪を行う帝国主義は、資本主義の最高段階である」という言葉を引用するにとどめた。
つまり、共産主義ではそんなことは起こらないというつもりだ。
だが、毛沢東が墓の中で反省したくなるような不平等と物欲があらわな中国式共産主義なら、以前の植民地主義者と同じことを行わないのだろうか。

特に2008年11月に24人の中国人が誘拐されて殺害されたスーダンでは、中国人が殺されてはじめて、中国に敵対するグループがあることがわかったらしい。
ザンビアやアンゴラでの親中国派の没落、ナイジェリアやエチオピアでの中国人の大量誘拐、アルジェリアでの中国人キャンプへのテロ攻撃がある。

独裁者の武器はメイド・イン・チャイナ
 2006年3月30日、数百人の反乱部隊がスーダン国境を極秘に越えてチャド領内に侵入し首都に向かって進撃した。チャドのイドリス・デビ大統領を失脚させるためである。彼らは中国製の武器をもっていた。
実はそれ以前に、ナイジェリアの中国領事がチャドの反政府派を招待して同盟関係を結ぼうとしていた。このようなチャド侵攻が中国政府のお墨付きで企てられたということを示す証拠はいくつもある。
親中国の中央アフリカ共和国との国境からも、中国製の武器で武装した別の部隊がチャドに侵攻した。

独裁者デビは国際社会でもまったく人気がない。そして、チャドはまだ台湾との外交関係がある。中国としては、チャド政権を転覆させ、親中国派・親スーダン派の傀儡政権ができてほしいと考えたのだろう。
だが、フランスの支援で首都は守られた。

ここで中国とチャドの独裁者は取引をした。独裁者は、中国からの庇護を獲得し、フランスの半監視状態から開放され、自らの権力を永遠に温存することに成功した。

2006年夏、攻撃を受けてから4ヶ月後のチャドの権力者は、これまで良好だった台湾との外交関係を断絶し、ひとつの中国しか存在しないと高々に宣言した。中国にとっては、今回の軍事支援作戦が決定的な成果をもたらしたことになる。反政府勢力へのわずかな軍事支援で、一国がまるまる自陣営に転がり込んできたからだ。

このように、中国がアフリカで反政府軍に加担したり、反政府軍を弾圧するために政府軍に加担したりしはじめたのである。
つまり、ロシアや米国は自国の利益のために世界のいたるところで戦争の片棒を担いでいるが、それと似たことを中国がアフリカではじめたのだ。
けれども、ここで注目すべきは、反響を呼んだ2006年6月のアムネスティ・インターナショナルの報告書の中で確認されている通り、中国が世界の主要な武器輸出国となったことである。この報告書は、「常軌を逸した人権侵害を犯している国々に、豊富な軍事・防衛・治安関連の物資を提供している」と中国を強く非難している。
このような非難はすべて、チャド反乱軍による首都攻勢の前のことだ。このため、アムネスティの報告書の内容に疑問をもっていた人も、反乱軍のメイド・イン・チャイナの兵器を見て、現実に目覚めたのである。中国の軍事産業が長足の進歩を遂げたのは、1980年代初頭のことだ。

建設・都市化・住環境・森林改革省大臣ンシルは、コンゴ政府の中でもふんだんに予算を与えられ、中国人と直接に交渉することができる稀な権限をもっている。彼はイタリア留学した建設工学博士である。
「中国人は素晴らしい。アルフォンス・マサンバ競技場、外務省の建物、テレビ局をつくってくれたが、今度はインブールー・ダム、プラザビルの上水道給水網に空港だ。これからつくるものとしては、ボワントノワールとプラザビルを結ぶ高速道路がある。中国人は、住居の建設とともに、川沿いに遊園地もつくってくれることになっている。どれも中国と協議を行い、建設が決まったものだ。契約書はもちろんサイン済みだ。あなたがたフランス人にとっては残念なことだろうが、中国人はまったく素晴らしい」
  このあと建設現場で中国の建設会社に雇われて働くコンゴ人労働者の不満が述べられているが、省略。

コンゴ共和国にも労働基準法はある。月簡20日の就労に対して最低でも5万CFAフラン(約1万円)、日給で2500CFAフラン(約500円)を払わなければならないと定めている。
だが、バコンゴの現場でこの最低賃金をもらっているのは専門工だけだ。
ンシルはコンゴ人労働者の権利の擁護者を自負している。だから、中国人には厳しい態度で臨んでいるという。
「私が手がけた工事現場では、どこでも最低賃金が守られ、厳密なチェックを行っている。中国人には小銭をピンハネする習慣があるからね。でも、ここにくる中国人には使命感のようなものがある。中国にとって企業は征服の道具だからね。中国は千年前のように世界の征服者になりたいのだろう。アフリカが欧米から見捨てられ手つかずの市場だということを理解している。入り込んで征服してやろうと考えているのだ」

彼の邸宅で、中国人に殴られたコンゴ人労働者の話をしてみた。
ンシルの顔つきは厳しくなった。
「コンゴ人は中国人じゃない。コンゴ人にはコンゴ人のライフスタイルがある。中国人は忙しいと三交代で働く。だから、夜も働く。だが、コンゴ人は、三交代労働なんかしたくないと思っている。休息の時間も労働の時間と同じように大切だからね。肉体的な限界を超えて働かせることは虐待だ。そんなことはやめろと、わが政府は言っている私はコンゴ人に暴力をふるう中国人を許さないだろう。実際、すでに何人もの中国人を本国に送還している」