> 苗字の日 > 1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を持つことが許された。しかし、なかなか苗字を持とうとしなかったため、1875(明治8)年2月13日に、全ての国民が姓を名乗ることが義務づけられた。
紀田順一郎によれば、当時、苗字が必要になった平民は三千百万人もいたよし。これだけ該当者がいれば、早くつけろ、早く付けろと云われてもすぐ完了するわけがない。
いきおい庄屋や手習いの師匠が名付け親を頼まれる羽目に。それも、さいしょは機嫌よく応じていたが、しまいには面倒になり、畑の真中に家があるから畑中、山の上に住んでるから山之上、酒を飲むとすぐ管を巻くから酒巻、普段から気に入らないヤツは真面目に考えるのも馬鹿馬鹿しく、腰巻、厠などとつけたようで。
また、漁村の庄屋は、酒の勢いで依頼者の名前を片っ端から魚の名にしてしまった。「おう、鯖か、こんちわ」「おう、河豚のやろうか。どうだい漁の方は」「あ、むこうから来るのは蛸の野郎だ。」てな具合で、これじゃあ丸で、竜宮城のなかの会話のようだ。
蛸と付けられた男の悲劇。さいしょ小学校の教師になったが、生徒から蛸、蛸とバカにされ、つぎに会社員になったが、ここでもからかわれ、思い余って巡査になったが、ここもやっぱり居心地が悪く、しまいには人足になって人生を終えたという。
その後、政府が改姓を認めぬ方針で望んだため、よけい問題が紛糾した。改姓を認める法律ができたのは、やっと戦後の昭和23年になってからだ、と。
|