著者は川端康成が不眠症のため東大病院の内科に入院したとき 世話をした精神科医である。 その後、川端邸に出入りするようになり、一人娘の麻紗子の仲人をする。 彼が麻紗子の婿として世話したのは、フランス留学時代の友人で当時北大文学部の山本香男講師だった。
川端康成はノーベル賞受賞後まもなく初孫を得て、さらに2年後には男の孫が誕生という世間的には大きな喜びにつつまれるのだが。
どうも 人間にはストレスを与えるのは環境の変化であって 家族の病気や死亡や借金という不幸だけがストレスの原因とはならず 栄転とか宝くじに当たったことなども(他の人が聞けば驚くかもしれないが)ストレスの原因となるらしい。
川端康成にしたら、人生の晩年に急にいろいろな出来事がおこって 心身をさわがせたらしい。 ノーベル賞受賞後の依頼作品や日本学研究者のための国際会議の準備などで忙しく 疲れがたまって、生きる意欲がなくなったのかもしれない。
この著者は 精神医学者による川端作品分析ということで、論文として作品をあげながら、作家川端康成の心情の流れを分析している。 そして、川端康成の自殺の原因について次のような仮説をたてている。 西行法師のように、人は花のさかりに死を思うものである。 生命の極まりにおいて死を思うことは、川端にとって避けられない性(さが)であったかもしれない。 孫が産まれたことが生の極まり、喜びの極まりであるならば、そのとき、死を思うことは一つの自然でもあったろう。 可愛がっていた養女が結婚して母となり、その母に抱かれた男の孫は 川端にとって、母に抱かれたわが姿の再現であり、 娘であり母である人を自分から奪い去った人間でもある。 いまだかって母に抱かれた記憶のない川端は、複雑な思い入れの極まるあまり 永遠なる女性にひかれて、母の懐に抱かれんとして死に急いだのではないだろうか。
あの臼井吉見「事故のてんまつ」は全くとるにたらない内容であると真っ向から否定している。 http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/wforum.cgi?no=15745&reno=15734&oya=15734&mode=msgview >老作家が心を寄せた若い女性から冷たくされ >それが引き金となって >老作家の自殺をまねいたという小説を思い出した。
しかし この著者も書いているように 本当の理由は本人にしかわからない。 もしかしたら、本人にも自覚していない理由があるのかもしれない。 一人の人間の行為の背景には、実は色々な出来事があって、それらの複合効果の上に自殺という行為があったのかもしれない。
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