金田一耕助は菊田一夫と城昌幸と横溝正史の複合体である。
城昌幸はいつも着物姿だった。 城昌幸主宰の「宝石」に「本陣殺人事件」を書いているうちに いよいよ探偵を登場させなければならなくなったとき ふいと作者の頭にきたのは、若き日の菊田一夫であった。 しかしたった一度しか会ったことのない菊田氏はそのとき洋服姿であった。 それを和服にしたのは、城編集長をからかってやろうという作者の気まぐれだったからだが、城編集長はいつも和服の着流しで角帯だった。 それでは探偵になりにくいので袴をはかせたのは、博文館時代の作者自身の経験からきている。
昭和二十一年に城昌幸は疎開先の横溝正史を訪ねてきたことがある。 当時の乗物事情のため、洋服姿であった。あまりにも珍妙であったため 横溝は言った。「洋服はよしたほうがいいよ。だった金田一耕助が洋服を着るとおかしいもの」
横溝正史自選集1 本陣殺人事件/蝶々殺人事件 出版芸術社 2006 新説金田一耕助・20 毎日新聞日曜くらぶ 昭和52年1月23日
代用教員時代の啄木を思わせる金田一耕助のスタイルだが、作者の心の底には、東北出身の言語学者と薄命の詩人との友情と交流があったのかもしれない。 いったい横溝正史と菊池一夫はどこで会ったのだろうか。
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