面白い本で、目についたところをメモ書きします。
酒は飲まないし、ずっと中肉中背で体重変化なしなので、糖尿病にだけはかからないと思っていたら、真性糖尿病になっていた。
自分のつくった歌の中に「老眼のおたましゃくし」というのがある。一生蛙になれないまま老眼のおたまじゃくしで生涯を終わるおじいさんおたまじゃくし。これは自分のことと自覚している著者。未成熟老人というのでしょうか。
白髪の老婆の歌集をいただいて読んだら、全部熱烈な恋の歌。不老少女も健在だった。
アンパンマンシリーズでつくってきたキャラクターは二千三百ぐらいある。このすべてにそれぞれ思い入れがあるから、どれが好きとは作者の立場では言えない。 しかし成功したキャラということになると、アンパンマンは別格としてやはりバイキンマンがとびぬけている。最初はただ敵役をつくろう、食品の敵だからバイキンだろうとごく軽い気持ちで蝿を擬人化したような感じで描いた。 ところがこれがズバリ適中!なぜなら、生きるということはバイキンとの戦いを避けてとおれないから。 バイキンを全滅させればいいのかといえば、その時は人間そのものも死滅してしまう。パンも酵母菌がなければつくられない。
ある会の席上で「毒舌のやなせさん」と紹介されたのにはびっくりした。 どうも他人から見ると言葉に毒があるみたいだ。親しい友人に聞いてみると「君はジョークのつもりかもしれないが時々弱点の核心部に触れることがある。その時言われた当人は予想以上に深く傷つく、注意したほうがいい」と言われ著者も驚く。
今年(2009年)の7月でアンパンマンミュージアムは創立十周年である。十周年を生きていて迎えられるというのはとても幸福である。 手塚治虫記念館も長谷川町子美術館も石ノ森章太郎記念館もすべて故人になってからである。
初対面の戸田恵子さんは声優としてビビアン・リーの声とかゲゲゲの鬼太郎の声で売り出していたが、世間的には無名で影の存在であった。そして大変失礼を承知で言えば、さして美しいとは思わなかった。そばにいても胸がときめいたりしなかった。ところがメキメキと美しくなられたのである。 その間には離婚というようなこともあったが、遅咲きの花がひらいたというか、輝く美貌に生まれ変わっていった。
ーーーーーー 毒舌といわれた著者、相手によっては気にせずさっと別の話題にかわってくこともあろうが、怒こる相手もいたにちがいない。戸田恵子は人間ができているから、「最初はさして美しいと思わなかったが、その後どんどん美人になったし」と言われたことをほめ言葉ととったかもしれないが、これは危険な表現なのであろう。
伝説のトキワ荘の漫画家たちが、仲間の漫画の批評をしたことはない。寺田によると、最初は仲間の批評みたいなことをしたが険悪になったのでやめたという。そして、批評の相手は有名な漫画家に限定したという。藤子不二雄や赤塚不二夫や石ノ森章太郎も書いているが、トキワ荘の若者たちは仲間の作品のあら探しはしなかった、みんな他人のよい点だけ評価していたという。それが友情を長続きさせた理由なのかもしれない。
著者の漫画記念館は生前にできて著者もなお元気というが、そうしてみると秋田の「釣りキチ三平」の矢口高雄の漫画記念館が今から15年も前にできたことは特筆すべきことなのだろう。 著者は好奇心が旺盛で、子どものためのアンパンマンを老年になってからつくったことが幸運につながっているが、やはり運がよかったということだろう。よい仲間にも恵まれた人生。
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