図書館から本を借りてきて読んでいます。 原理的には K図書館から10冊、S図書館から10冊、D図書館から5冊、E図書館から10冊と 全部揃ったら35冊を二週間以内に読むことになります。 でも、これは夏休みなどの暇な時で、図書館も長期貸出しという時期になって二週間がもっと長く貸出すことになる時にできる、私にとって望ましい形です。 通常は多くて30冊、たいてい25冊のケースが多いです。 いま現在25冊借りていますが、半月の後の金沢オフがありますから、そのあたりには15冊くらいに縮小することになります。 たまたま K図書館の場合、書庫整理のため半月利用できなくなるので 借りた本はその時期に当たると、返却が延長されます。 つまり、本日借りると約1ヶ月借りられるので、時間をかけて大きな内容のある本を読めることになります。 そういうわけで、本日は大急ぎで手元の本を読んで 新しく本を借りることにします。
この 「演歌」のススメですが 著者は芸大出のソプラノ歌手で博士課程を修了した音楽博士です。 プロの音楽家が、日本の演歌を擁護するのは珍しいのですが 従来の音楽家というものは、クラッシックを評価するわりには、邦楽や演歌を評価しません。たぶんジャズも評価されていないと思います。 文芸評論家が、文学とは純文学であり大衆小説は文学ではないというようなものです。 どうもこういうふうに(純文学と大衆文学を)わけるのは日本だけの世界のようで、たとえばユーゴーなどは文学は万人が読んで面白いと思うものでなくてはいけないと言っていたと思います。
この本は以前にも読んだことがあるのですが 私にとってはわかりにくい本です。 内容が多すぎ、あるいは説明が急ぎすぎという感じです。 それはともかく要点だけ述べると 古賀政男の音楽には仏教の声明が根本にある。 西洋音楽も教会音楽から生まれたという歴史がありますから、古賀音楽も正しい音楽の歴史のうえに存在するわけです。 古賀政男の音楽には、ジプシーの音楽など世界に通用する音楽も学んで取り入れたあとがあるから、世界的なレベルだというのです。 演歌歌手がコブシをきかせるのは、声明の発声法を守っている、つまり伝統継承という文化行為なのです。
それから 古関裕而は福島商業学校出の作曲家だが チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選し、日本人として初めて国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家だと 著者は高く評価しています。 古関裕而は山田耕筰に師事していたので、山田耕筰の推薦で作曲家としての道を比較的順調に進むのですが 音楽の学校を卒業していないということで、プロの音楽家たちから評価されていないのです。 そのプロ音楽家たちの狭い了見さを著者は非難します。 同様にゴジラの映画音楽を書いた北大農学部出身の伊福部昭は昭和10年にチェレプニン賞で第一席となり、戦後に芸大で作曲科に勤務していた時、教材用として執筆した「管弦楽法」は邦人作曲家のバイブルになっていることを紹介して 音楽教育を受けなくても才能のある人は立派な音楽家になれると述べ 正規の音楽大学を卒業しても、音楽家として成功しない人はたくさんいるとバッサリ切っています。
最後に野口雨情のメモです。 野口雨情の従兄弟・茂吉は片山潜に傾倒し、アメリカ共産党の結党に参加した片山の後を追って渡米したと言わている。 雨情もまた、片山を中心として刊行されていた雑誌「社会主義」に新体詩を発表している。 しかし、雨情は父の死をきっかけに郷里の磯原に戻り結婚して家督を継いだ。 雨情は、父の死も理由だが、日露戦争前に社会主義者への取り締まりが厳しくなったこともあって東京から逃げ出して郷里に帰ったのではないかと著者は推定する。 父の後を継いで、持てる者側についた雨情はしかし、社会主義からきっぱり決別できたものだろうか、 雨情はそれから樺太や北海道を転々と移動する。 そして、札幌の新聞社で啄木と出会う。 また留寿都開拓で失敗して札幌に出てきた赤い靴の女の子の母とその夫に出会う。 かれらの開拓事業も理想に燃えた社会主義者たちの活動であった。 雨情、啄木、赤い靴の女の子の母とその夫、彼らを結びつけたのは社会主義思想だったかもしれない。 という線を追求していけば、なにか論文が書けそうである。
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