学芸員である著者が 埼玉大学などで非常勤講師をして 学芸員になるべく学ぶ学生たちに 博物館学を教えてきたが その講義の理解度を確認するため 質問票を配り毎回書かせて、それらに対する回答や説明を次回に行い そうやってためた長年の資料を本にまとめたものである。 それは著者自身にとっても博物館と学芸員を客観的に反省する資料ともなっている。
博物館における学芸員は見学者から見れば 博物館を支えている尊敬できる存在のように思われるが 学芸員の立場からすると必ずしも住み心地の良い職場ではない。 給料は安く、理解のない上司のもとでは学会に研究発表をすることすら 制約が多くてなかなかできないという。 よけいなことかもしれないが、私の考えでは、学芸員のゴールとしては研究を本にまとめることや大学教員になることだと思う。
したがって、学芸員は博物館の展示や研究を行うべき立場と思うが 日常の業務優先なので 学会活動は二の次だとみなされるらしい。
予算や制度の実権をにぎっている事務官の立場では 新しいことをやって失敗すると出世ができないから、どうしても保守的になる。 それに対して 学芸員は新しい観点からの研究をしたり展示の工夫をして入場者数を増やす努力をする立場なので、どうしても改革的になってしまう。 いきおい事務官と学芸員は対立関係にある。 そして博物館における学芸員の立場は弱いから、辛い場面が多いという。
学芸員は博物館を訪れる子どもたちに説明していればいいと思う そう考える将来学芸員志望の女子学生の考えは甘いという。 私も同感である。 たとえば、私が博物館に行った日頃から疑問に思うことを聞いてみたい。 「遮光器土器は青森県だけでなく、秋田県や岩手県や宮城県にも実は発掘されているのだが、南限はどのあたりなのでしょうか」 とか 「恐竜と鳥類の共通点は何なのでしょうか」 とか 「江戸時代に夜の暗い時、外を歩くと街灯のようなものはあったのでしょうか」 など自分でも疑問に思うようなことを聞いてみたい気がする。 でも、これは学芸員よりは研究を専門として毎年学会でも研究発表をするような研究者にするべき質問であろう。
上野の科学博物館にもあるボランティア解説員は学校の先生を退職したような知識人が勤めているが、なかなかそういう人材の得られない地方の博物館では、ボラティアを頼むとしても能力や知識に制限があるのはやむを得ないだろう。
日本の博物館は欧米の大きな博物館に比べて予算も定員も少ないから、簡単にいえば貧しいのである。 まして地方の博物館は少ない予算でいかに毎年やりくりするかで頭がいっぱいであろう。 よく上野の博物館で展示されているものが、九州や大阪など、国内のいくつかの博物館で移動展示をすることがあるが、あれだとそれぞれの博物館で分担して経費を負担するから運営がしやすいのである。 しかも、そのときつくる説明資料など(たいてい1000〜1500円くらいで売られる)は印刷費は印刷部数が増えてもたいして変わらないから、全国のいくつかの展示会場でさばけば利益は確実なものとなる。(ひとつの博物館で売るよりは全国で売った方がたくさん買われる)
まあ、嫌いな仕事で高い給料をもらうよりは、好きなことをして少ない給料のほうが楽しいという人はそれでも満足するから、給料がすべてではない。 人それぞれの人生の価値観は違うし、違ってもよいのである。
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