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[No.15933] 奥本大三郎:書斎のナチュラリスト 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/15(Fri) 15:07
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奥本大三郎:書斎のナチュラリスト

岩波新書532

水のように無味無臭に近い、何の内容もない文章が書ければ、多くの人の迷惑にはならないだろう。
しかし、文章を書くと知らず知らずに得意になったり、自分に都合のいいものを書く傾向がある。
そういう文書とは夏炉冬扇、時節に合わず役に立たないもののたとえ、今なら冬の扇風機、夏のストーブであろう。

・東京の水よりミネラルウォーターの方が美味い。
・イタリアの高速道路を走りながらあたりの景色を永琉眺めていくと、イタリアは鎖国ができると思う。自国内で旨い食料が自給できる。イタリアは国の経済が破綻して、政治がまともに行われていないと言われながら食べ物は旨い。日本が出生率の減少が問題になっているが、幕末の人口が三千万人だったのだから、出生率の低下は理想人口をもたらすものかもしれない。
・相続税が高いものだから、結局先祖伝来の土地を売らなくてはならなくなる。買った土地ブローカーは、その土地をこまかく分割して売買し利益を上げていく。日本は社会主義の理想を実現した国である。思想の根本にあるのは、土地は国家のものであるということであろうか。かくして東京には広い屋敷は減り、個人の庭園もつぶされ、生き物はすみかを失っていく。東京の住宅地に健康な自然を求めることは無理としても、幸い我々には皇居がある。あの中には武蔵野のおもかげがあると考えると、たとえ見ることが許されなくても、考えるだけでホクホクする。英国の王室は税金を払うというけれど、日本の皇室だけは相続税を課さないでほしいと思う。


[No.15934] Re: 奥本大三郎:書斎のナチュラリスト 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/15(Fri) 15:11
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> 奥本大三郎:書斎のナチュラリスト

大学院時代いかにフランス文学を研究すべきか悩んだ著者は漱石の「文芸評論」に助けを求める。
夏目漱石が外国文学を読む二つの方法を紹介している。
その一
「言語の障害という事に頓着せず、明瞭も不明瞭も容赦なく、西洋人の意見に合うが合うまいが、顧慮する所なく、何でも自分がある作品に対して感じた通りを遠慮なく分析してかかる」方法
その二
「西洋人がその自国の作品に対しての感じ及び分析を諸書からかり集めてこれを諸君の前に陳列して参考に供する」方法

文学にしても、大学でやるとなると客観的、科学的方法をとるのがよいのであって、講義が面白いか面白くないかはともかく、資料が手に入るようなら底本を造ったり、作品の成立過程や構造の研究をするのがよいと思われる。フランス文学会の発表や学会誌を見ても、そのことはわかるけれど、これさえやっていれば論文が書けるという、何か安心して熱中できる一種の作業のような、「文学学」のテーマを学生に与えてやるのが、結局はいいフランス文学の先生ということになっている。
大学では、たとえば文学部であっても、感性とか文章力というような曖昧なことは、問題にしてはいけないようである。
お互いに迷惑のかかるようなことはしないのが大人というものなのである。

小林秀雄訳ランボーの「地獄の季節」の中の誤訳をあげつらうことは、今の大学院ぐらいの学生にでもできるであろうが、作品としてあれに匹敵する翻訳は現に、誰にもできないのである。

大学の文学部では
小説家のような文章を書けるようになる教育はしてくれない。
文章の流れとか、文法とか、引用資料の考察など、学術的なことを学ぶのである。
それは欧米文学の専門(英文学、仏文学、独文学)だけでなく、国文学でも同じことなのだろあ。