柳田国男と佐々木喜善
遠野物語のザシキワラシは、可愛い女の子、あるいは男の子が 家の中にひっそりといるとその家が裕福になる。 そして、没落する前にそのワラシが出て行くとその家は落ちぶれる。 典型的な福の神である。
佐々木喜善の「奥州のザシキワラシの話」には、ザシキワラシのパターンが無数にある。 ひっそりとした部屋の中を覗いていみると、箪笥の引き出しから蛇のような腕がヒューと畳の方にはい回っているとか。 蔓手(つるて) 廊下の暗がりを真っ黒なものがゴロゴロと転がってくる。 夜中に柄杓(ひしゃく)をもったおばあさんが動き回る。 こんな不気味な話が沢山ある。その中には、可愛らしい子どももいるが、それは2,3の例にすぎない。 こうしたザシキワラシのことを柳田国男に話したはずなのに、柳田国男は女の子の話しかとりあげないで、他のものは全部カットした。
座頭を殺して金持ちになるという、座頭殺しの話は、全国にあるが 遠野物語にはない。これはおかしい。 遠野には、異国の人をいたぶるという話がない。遠野はいい人ばかりだったということになる。
柳田国男が削った話の中には、何かというと変事が起きたり不気味なものがゴロゴロ出たりするのは悪いことをしたからだというのが、その裏側にあったからだろう。 周りの人たちが、あそこの金持ちの家では、夜中になると真っ黒いものがドタドタ動き回るとか、箪笥のところから妙な手が出たりするというのは、悪いことをして、巡礼殺しかなんかをして、お金を得たからそういう恨みがそこには出るんだというふうに伝えたのだろう。
金持ちというのはまともなことをして金持ちになったんじゃない。
高橋克彦・明石散人:日本史鑑定、徳間書店、1999
ほかの本で読んだことだが 柳田国男という人は見識ある立派な人だったので 東北地方によくある艶話なども佐々木喜善からどっさり聞いたはずなのに それらは、遠野物語をまとめるのにふさわしくないと思って バッサリ切り捨て、載せなかったようです。 人間のいるところで、性の話はつきものなのに そういう話を柳田国男は嫌いだったようです。 私もなるべくそういう話題は(ネットでは)避けてきましたが。
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