宇沢弘文:「成田」とは何か 岩波新書216
1992年の「はしがき」から一部紹介 成田国際空港をつくるという閣議決定がなされてからすでに25年間 その間、三里塚・芝山連合空港反対同盟を中心として激しい反対運動が展開された。 現在なお当初の予定の半分の規模しかつくられず、滑走路一本という変則的形で空港業務を行うという異常な状態が続いている。 成田空港自体、二重三重に張り巡らされた鉄条網と数千人にわたる機動隊とによって守られた巨大要塞の観がある。空港周辺に住み生計を営む農民を中心とした住民たちは、耐え難い騒音、振動に悩まされ、さらに、空港建設に際し、周辺地区の社会的、経済的、自然的均衡を大きく破壊してきた。 成田空港とその周辺を支配するこの荒廃は、たんに日本だけでなく、世界の多くの国にとっても、目を背けようにも背けられないものになっている。日本経済のすぐれたパフォーマンスも、また戦後一貫した守られてきた平和国家の理念も、「成田」のこの荒廃を前に、その意味を失ってしまうほどだ。 このような「成田」の惨状は、ひとえに政府・運輸省のこれまでの非民主主義的、権力主義的行為に、その原因がある。新東京国際空港を三里塚に立地するという閣議決定に始まって、強制測量、強制代執行等々数多くの犠牲と被害を惹き起こしてきた。 「成田」は、反対運動を支援するため全国から集まった学生、労働者によって大きな問題を提起された。1988年政治体制のもとで日本の軍国主義的、専制主義的流れが大きく打ち出され、かつての平和主義的、民主主義的な政治の流れを大きく変えようとしている。日本の将来のあり方に関して大きな問題を提起したのだ。 1991年5月28日の運輸大臣声明「二期工事の土地問題を解決するために、いかなる状況のもとにおいても強制的手段を用いないことを確約する」により、成田空港問題に対して、社会正義に適った解決の途を見出す可能性が開けたと思う。 この一年間「成田」に関わった経過報告を「世界」で「成田闘争の起動」と題して五回連載したが、それは成田闘争の軌跡を探ろうという当初の意図を超え、成田闘争に関わった著者自身の心情的変化の軌跡もあきらかにする結果になった。経済学を専攻する著者の職業的観点からも貴重な教訓を学び取り、戦後の日本が直面した最大の悲劇としての成田の本質を見極めることができたと思われる。「世界」に載せた報告をほぼ原文どおりこの本に集約する。
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この本の書かれた当時と現在は大きく変わっているようだ。 飛行機に乗らない人にとっては空港など何に価値もないだろう。 だが 成田空港だけではさばけないくらいの海外からや国内の利用者がいて だからというわけか とうとう羽田空港も国際空港になった。これでも需要をすべてまかないきれないという。
まあこれで遅れていた日本の国際空港も、アジアのほかの国にそれほど遜色がなくなったという人もいる。 しかし、韓国インチョン空港やシンガポールのチャンギ空港など 24時間体制で運用していて、国家を挙げて空港業務推進に取り組んでいるところもあり 日本はまだまだ後進国だろう。
この著者は理学部数学科出身の経済学者であるということだが 自分はなるべく環境問題などの観点から飛行機に乗らないようにしているが 国際会議など出席のため必要なときは利用していると告白している。 真の数学者なら 自分の否定した定理や法則を使わないはずである。 一部でも否定される定理を使って導いた結果は間違いとして扱われるのが数学の世界なのだから。
原子力発電に反対な文化人でも、夏の暑いときに その原子力発電所で発電した電気を使ってクーラーを入れる。 そういうことは真の数学者ならあってはならない行為ではないだろうか。 言っていることと行うことの一致は難しい。理屈だけなら誰でもいえる。
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