シュリーマンといえば トロイの遺跡を発掘した人。 まさしくその彼が清国や日本に来ていた。
原文はフランス語で書かれていて、それを日本語に翻訳したもの。 翻訳者は石井和子 なおシュリーマンはドイツ人です。
ショリーマンは語学の天才 比較的短時間に、商売のために覚えた外国語は英語・フランス語・オランダ語・ポルトガル語・イタリア語・ロシア語など。 のちの発掘のため、近代ギリシャ語を6週間で習得し、その後、難解である古代ギリシャ語をも習得する。 さらに、ラテン語を修めた彼は世界一周の旅に出ている。
42歳になった大財産を築いたシュリーマンは自分の事業をすべて清算し、考古学者としての第一歩を踏み出す。 その前に世界一周の旅に出た。 ドイツを旅立ち、アフリカのチュニジアにカルタゴの遺跡を訪ね、イタリアのポンペイに行き、エジプトを経由してインドとセイロンを訪れ そして、中国に入った。万里の長城をはじめ、北京・天津・上海をまわり、 幕末の日本に渡り歌舞伎見物などをした。 日本人の勤勉さと清潔さに惜しみない賞賛をおくっている。
日本の後に太平洋を越えてアメリカに行き、メキシコのマヤ文明の遺跡を訪れる。 帰ってきたシュリーマンはパリに居を構えて考古学と古代史を学ぶため「ソルボンヌ大学」に入学する。
1865年4月20日 上海から天津行きの蒸気船に乗る。 6月4日 上海から東シナ海を経由して横浜入港 7月4日 横浜からサンフランシスコ行きのイギリス帆船に乗船 9月2日にサンフランシスコに到着したらしい。
北ドイツの貧しい牧師の子に生まれたドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリ−マンは、少年時代にホメロスの物語に魅了されてトロイの木馬で有名な伝説のトロイアの都の実在を信じ、いつかその発掘をしたいと夢を抱く。 商売で成功し巨万の富を得て、41歳で全ての経済活動を打ち切り、43歳で世界漫遊に旅立った後、44歳にパリで考古学を学び、49歳で1871年にトロイを発掘する。
この本の中の一部を紹介しましょう。 入れ墨をした船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと「テンポー」と言いながら指を4本かざしてみせた。労賃として4天保銭を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。シナの船頭たちは少なくともこの4倍はふっかけてきたし、だから私も、彼らに不平不満はつきものだと考えていたのだ。日曜日だったが、日本人はこの安息日を知らないので、税関も開いていた。 二人の官吏がにこやかに近付いてきて、オハイヨ〔おはよう〕と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、30秒もその姿勢を続けた。次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ1分(2.5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」〔日本男児?〕と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺の検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら「サイナラ」と言った
シュリーマンは文明が劣ると考えていたアジアの未開の国、日本の普通の庶民のモラルの気高さと清潔な町や通りに驚きかつ感心し、以後日本びいきとなる。
解説で木村尚三郎氏も指摘しているように、中国に対して批判的に描写しているのと対照的に、日本に対しては、ほとんど絶賛といえるぐらいの高い評価をしている。
北京の町の不潔さ、人々の堕落しきった姿を観察した後、遺跡には目がなかったシュリーマンは、万里の長城にのぼり感想を述べている。
長城がかつて人間の手が築きあげたもっとも偉大な創造物だということは異論の余地がない。が、いまやこの大建築物は、過去の栄華の墓石といったほうがいいかもしれない。長城は、それが駆け抜けていく深い谷の底から、また、それが横切っていく雲の只中から、シナ帝国を現在の堕落と衰微にまで貶めた政治腐敗と志気喪失に対して、沈黙のうちに抗議をしているのだ。
その一方日本に対しては、人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さ、工芸品の巧みさ等におどろき、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と高く評価しているのである。
------------------------ ドイツ人のシュリーマンだけでなく イギリス女性旅行家イザベラ・バードも 中国や朝鮮の腐敗しきった役人たちや衛生的でない町並みに比較して 日本の役人の規律さとか日本人の礼儀正しさなどを評価している。
江戸時代から明治時代にかけて 日本人はシナ人や朝鮮人よりも道徳的で学習意欲があったらしい。 現代の日本人も外国人によい印象を与えるようありたいものです。
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