文 ミース・バウハウス 絵 ベジュリフ・フリッタ
1944年1月22日 トミーの三歳の誕生日は暗闇におおわれていた。 バースデー・ケーキ、プレゼント、歌やわらい声、そんなお祝いのためのものは、なにひとつなかった。 なぜなら、ヨーロッパは戦争のさなかだった。 トミーはそのころ、お父さん、お母さんと三人で、チェコスロバキアのテレジンにあったユダヤ人強制収容所で暮らしていたのだった。
トミーの父は絵描きだった。収容所の仕事場で、ドイツ兵の目を盗んで描いたトミーの絵を、壁の中の秘密の場所に隠しておいた。 父ベジュリフ・フリッタは同僚レオ・ハースと一緒にアウシュビッツ収容所に移され、そこで死んでしまう。 テレジンの収容所に残されたトミーの母ハンシは、トミーを残して死んでしまう。 トミーはレオ・ハースの妻エルナによって守られ 戦争が終わって戻ってきたレオ・ハースとその妻エルナによって育てられた。
大きくなったトミー(トーマス・フリッタ・ハース)は書いているが、養母は収容所でストレスを受けたトミーを育てるのに苦労したらしい。 ものを食べたがらなく、またきょくたんに犬をこわがっていた。 養母も収容所の暮らしで心に傷を受けたせいか、トミーをぶったりはだかでテーブルにくくりつけたりすることもあった。 美しいプレゼントを与えても、あとでそれをとりあげてしまうようなこともあった。 彼女は酒とタバコにひたりきりであったという。
トミーが14歳のとき養母エルナは亡くなり、養父は東ドイツに行ってそこで再婚した。 トミーはプラハの学校の寄宿舎でさびしく暮らした。 やがてトミーはチェコ軍の軍隊生活をおくった後に結婚して、イスラエルに移民するが第四次中東戦争でアメリカを経て西ドイツに移る。 1980年1月にこの本が出たときは、彼はマンハイムの図書館で司書をして、四人の子どもにめぐまれ幸せに暮らしている。
この本の著者ミース・バウハウスはオランダ人女性で 処女詩集「ナクソスのアリアドネー」により、オランダ文壇の登竜門というべきレイラ・プリンセン・へーリングス賞を受賞。以来多くの小説や詩を発表している。 彼女はレオ・ハースの証言をもとに、この本を書いた。
絵はトミーの父親が描いた絵である。
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