北西憲二:「くよくよするな」といわれても...くよくよしてしまう人のために
著者は成増厚生病院副院長・森田療法研究所所長
完全主義をやめると楽になる。 無理に「いい関係をつくらなければならない」と考える必要はない。 同年代の人は、ライバルがいたっていい、少しくらい仲の悪い仲間がいたって一向にかまわない。 それなのに「いい友だちでいよう」とか「同期なんだから仲よくしなくてはいけない」という思いこみを持ってしまうために、かえってギクシャクしてくる。 職場での人間関係にも同じようなことがいえる。 いやな上司でもきらってはいけないとか、いやだと思う自分が未熟なんだ、と思いこんで、自分の自然な感情を否定しようとすると、人間関係がますますむずかしくなっていく。 いやな人、きらいな人がいても、それでいい。まず、自分のその気持ちを認めることが大事である。 いやな人とでも一緒にやらなければいけないときは、「いやな奴だな」と思いながらつきあえばいいのである。
夫婦に限らず、上手に人づきあいをしていくためには、相手との距離感を的確に把握することが大切である。 しかし、二人だけでいるときは、相手との距離感を測ることが大変むずかしいものである。 互いが孤独を感じているからといって、その二人の間が遠いのか近いのか、どのくらいの距離なのかは、当人たちだけではわからないのである。 こういうとき、この距離を測るには、もう一人の、別の誰かが加わることが必要である。 第三者が加わって、三角形になるとその距離を測ることができるのである。 二人に加わるもう一人は、共通の友人でもいいし、相談役みたいな人でもかまわない。 二人の近くにそういう人がいれば、二人の距離感を保つことができる。 二人の関係がぴったりと閉じられていて、誰も入られないような関係だと、恋人どうしでも距離が取れず、破綻する。 恋人どうしの関係に限らず、友人関係でも、二人だけでくっついているといずれうまくいかなくなってしまう。 このことは、恋人どうしの関係だけでなく、あらゆる人間関係の原則である。 たとえば、友だちどうし三人、四人とグループで緩やかにつきあうほうが、長く関係を続けていくことができる。 このほうが、お互いが少しずつ不満を持ちながら、うまくそれを解消することができる。 なぜなら、どんなに仲のよい恋人や友人でも、相手にまったく不満がない、ということはありえないのだから。 夫婦の間でもよく、「子どもができて、ギスギスしていた二人の関係が変わった」ということがある。 それは夫婦二人のほかに、子どもという第三者が入ることで、それまでの緊迫した状況が変化した、ということである。
自殺の危険があるほど深刻でないにしても、友だちが何か悩んでいるときには、自分が一緒に不安に感じたり、単なる同情から「かわいそうだね」といっても何の意味もない。 とりあえずは、ゆっくりと話を聞くという態度で、その人が話したくなったら、いつでも話せるような雰囲気をつくっておくことである。 「あなたがその気になったら、こちらはいつでもいいですよ」という用意をしておくことが大切である。 いいやすいような雰囲気をつくってあげて、もし相手が話し始めたら、とにかく聞くことに専念する。 聞いているときには、自分の予測や推測、思い入れを一切差しはさまないのが原則である。 「そうなのだよ」とか「それはないだろう」などとこちらの判断を差しはさんで話がとぎれてしまうと、本人は何を話しているのかわからなくなって混乱してしまったり、それによってますます傷ついてしまうことがあるからだ。 本人は思いきって何かを打ち明けているわけだから、とりあえずは独断を入れずに聞くことに徹することである。 まして同情などされたなら、なおさら傷ついてしまう。 同情と共感、同情と理解というのはまったく違うものである。 同情というのは、人を見下ろす態度で、相手を憐れむ感情である。 同情されて、ひとつ高いところから「かわいそうだね」という言葉や涙 もらったところで、本人は気持ちよくはならないだろう。 まずは、ひたすら相手の話を聞くということが一番である。 そして相手の感情をともに感じ、理解することである。
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森田療法はあるがままを受け入れる療法である。 西洋医学は異物を取り去ることが方法だが、 場合いによっては自分自身の中に苦しめるものがある場合 それをどうしても取り去ることが困難なら、それを取り去ることはあきらめて、 それの存在を認めながら なんとか生きる手だてを考えることだろう。
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