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[No.16018] 「くよくよするな」といわれても 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/02(Tue) 14:43
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北西憲二:「くよくよするな」といわれても...くよくよしてしまう人のために

著者は成増厚生病院副院長・森田療法研究所所長

完全主義をやめると楽になる。
無理に「いい関係をつくらなければならない」と考える必要はない。
同年代の人は、ライバルがいたっていい、少しくらい仲の悪い仲間がいたって一向にかまわない。
それなのに「いい友だちでいよう」とか「同期なんだから仲よくしなくてはいけない」という思いこみを持ってしまうために、かえってギクシャクしてくる。
職場での人間関係にも同じようなことがいえる。
いやな上司でもきらってはいけないとか、いやだと思う自分が未熟なんだ、と思いこんで、自分の自然な感情を否定しようとすると、人間関係がますますむずかしくなっていく。
いやな人、きらいな人がいても、それでいい。まず、自分のその気持ちを認めることが大事である。
いやな人とでも一緒にやらなければいけないときは、「いやな奴だな」と思いながらつきあえばいいのである。

夫婦に限らず、上手に人づきあいをしていくためには、相手との距離感を的確に把握することが大切である。
しかし、二人だけでいるときは、相手との距離感を測ることが大変むずかしいものである。
互いが孤独を感じているからといって、その二人の間が遠いのか近いのか、どのくらいの距離なのかは、当人たちだけではわからないのである。
こういうとき、この距離を測るには、もう一人の、別の誰かが加わることが必要である。
第三者が加わって、三角形になるとその距離を測ることができるのである。
二人に加わるもう一人は、共通の友人でもいいし、相談役みたいな人でもかまわない。
二人の近くにそういう人がいれば、二人の距離感を保つことができる。
二人の関係がぴったりと閉じられていて、誰も入られないような関係だと、恋人どうしでも距離が取れず、破綻する。
恋人どうしの関係に限らず、友人関係でも、二人だけでくっついているといずれうまくいかなくなってしまう。
このことは、恋人どうしの関係だけでなく、あらゆる人間関係の原則である。
たとえば、友だちどうし三人、四人とグループで緩やかにつきあうほうが、長く関係を続けていくことができる。
このほうが、お互いが少しずつ不満を持ちながら、うまくそれを解消することができる。
なぜなら、どんなに仲のよい恋人や友人でも、相手にまったく不満がない、ということはありえないのだから。
 夫婦の間でもよく、「子どもができて、ギスギスしていた二人の関係が変わった」ということがある。
それは夫婦二人のほかに、子どもという第三者が入ることで、それまでの緊迫した状況が変化した、ということである。

自殺の危険があるほど深刻でないにしても、友だちが何か悩んでいるときには、自分が一緒に不安に感じたり、単なる同情から「かわいそうだね」といっても何の意味もない。
とりあえずは、ゆっくりと話を聞くという態度で、その人が話したくなったら、いつでも話せるような雰囲気をつくっておくことである。
「あなたがその気になったら、こちらはいつでもいいですよ」という用意をしておくことが大切である。
いいやすいような雰囲気をつくってあげて、もし相手が話し始めたら、とにかく聞くことに専念する。
聞いているときには、自分の予測や推測、思い入れを一切差しはさまないのが原則である。
「そうなのだよ」とか「それはないだろう」などとこちらの判断を差しはさんで話がとぎれてしまうと、本人は何を話しているのかわからなくなって混乱してしまったり、それによってますます傷ついてしまうことがあるからだ。
本人は思いきって何かを打ち明けているわけだから、とりあえずは独断を入れずに聞くことに徹することである。
まして同情などされたなら、なおさら傷ついてしまう。
同情と共感、同情と理解というのはまったく違うものである。
同情というのは、人を見下ろす態度で、相手を憐れむ感情である。
同情されて、ひとつ高いところから「かわいそうだね」という言葉や涙
もらったところで、本人は気持ちよくはならないだろう。
まずは、ひたすら相手の話を聞くということが一番である。
そして相手の感情をともに感じ、理解することである。

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森田療法はあるがままを受け入れる療法である。
西洋医学は異物を取り去ることが方法だが、
場合いによっては自分自身の中に苦しめるものがある場合
それをどうしても取り去ることが困難なら、それを取り去ることはあきらめて、
それの存在を認めながら
なんとか生きる手だてを考えることだろう。