> 李御寧:「ふろしき」を読む日韓文化 学生社 (2004)
エレベータは一方通行 エレベータはラテン語から由来の言葉で、もとの意味は「軽くする、挙げる」である。 もともとは、地底に落ちた人を引き上げる救助者を意味した(ペルーの鉱山事故)。 それから、英語のエレベートは上に上げるという動詞に使われている。 このままの意味なら、エレベータは上に上がったり下がったりするのに、その言葉は「上がる」という観念だけで「降りる」という意味を全然含んではいない。 フランス語のアサンスールも上に昇るという動詞からきたものである。 これにくらべて、明治23年浅草凌雲閣に設置した日本最初のエレベータは、訳語は英語と違い完全なものであった。 すなわち「昇る」と「降りる」という相反する概念を同時に生かし「昇降機」といったのだから。
二つの対立したものがあれば、それを同時に一つの言葉に包んでしまう融通性のある日本語に対して 西洋の場合は、対立する二つのうちの一つを選択し他のものを排除してしまう。 漢字文化圏では「出入口」と呼んでいるものを、西洋人は「出口」EXITと「入口」ENTRANCEに分けて呼ばないとだめなのだ。 (現実に西洋のホテルの非常口のドアは外側にだけ開くから出る機能しかない) (ロンドンやパリの地下鉄では人の流れは一方通行になっていて、日本のように気がついて逆戻りすることのできる構造にはなっていない。あれは不便だと思う)
ウォークマンという製品はテープレコーダから録音装置を取り除いて、逆に再生ヘッドとかステレオ・ヘッドフォンを取り付けたものだ。 ウォークマンが意味するものは、その製品の機能というよりも、いかに既存の製品を脱構築していったかにある。 魚を入れる「びく」を花をいける茶室の道具に取り入れた千利休のように 韓国人も物の脱構築には飛び抜けた才能を発揮している。 畳の寸法は戦時に矢を防ぐバリケードに使えるようにつくられたといわているが、 韓国の祭壇(ソナンダン)の石も和戦両用の融通性をきかしたものである。 平和の時は祈りの祭具として積まれ、戦いの時は投石の弾薬庫の役割をする。
「僕はウナギだ」 外国人のこまる日本語、この場合日本語講師はどう教えているだろうか。 さて、こういう表現には韓国人は困らない。理解できるのである。 韓国ならさしずめ「僕はコリコムタン(牛の尻尾)だ」と言うだろう。
カササギの餌 日本でもそうだが、韓国では柿の木の柿をとるときは、必ず一つ二つは、そのまま木の上に残しておく習わしをもってきた。 彼らがそれを「カササギの餌」と呼んでいたことからもわかるように、貧困の中でも、空飛ぶ鳥ですら、いっしょに暮らしていこうとした、生き物に対するゆとりがあったからである。 (カササギが最後の柿を食べると、どこかに飛んでいって糞をする。そこから新しい柿の芽が出て柿の木に成長する。生物学的には合理的な行為である)(なさけは人のためならず)
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