著者の下川裕治は51歳、それまでに何度も東南アジアを旅行して旅行記を書いている。 しかし、この年で、全行程バスかタクシーでアジアを横断するという旅行はきつかった。 同行したのは30代と40代の男性、この三人のおかしな一行が朝から晩までバスに乗って旅をする。 ときには30時間以上も乗り続ける。 顔も体も真っ黒になり汚れ、たまのホテルでは死んだようになって眠りこける。 (狭いバスの座席では体育座りをするという)
東京から大阪までバス、大阪から福岡までバス 福岡から釜山までのフェリーは私も乗ったことがある。 釜山からバスで仁川へ。釜山の長距離バスのターミナルを思い出す。 仁川からいきなり船で中国へ、そこは北朝鮮との国境の町丹東、丹東から瀋陽に。 瀋陽は行ったことがある。瀋陽から北京、石家荘、武漢、長沙を経由して広州へ。 広州も行ったことがある。 著者らはさらに南下してベトナムに着く。 ベトナムからラオスを通過してタイに着く。 中国やベトナムでは悲惨で辛い旅だった。白タクやダフ屋に欺され高い金を払う(といっても日本円にしたらたいしたことはないのだが)。 タイでは比較的余裕があった。タイは日本人旅行者には住みやすい国らしい。 そこからまた地獄の旅がはじまる。 ミャンマーに行くがやはり入国できない。あきらめてバングラディッシュからインドに入る。 インドのバスは長距離ではなく市内バスに相当するものだった。それでも長時間乗り続けなんとか厳しいインドを通り過ぎ、パキスタンに入る。 この旅行の時は2005年で、アフガニスタンとパキスタンはアルカイダのことで戦争状態だった。 当然治安も悪い。 一行の中で下痢をした男性は、やむなくバスから降りるとパンパンと発砲の音がする。 そして用をたした男性がバスに乗り込むとまた発砲が。 どうやら、バスの関係者が警告のために空に向けて銃を撃ったらしい。なにしろどこから暴漢がとんでくるかわからないから。 そしてパキスタンからイランに入ると道路は良くなった。食べ物も良くなった。 もう心配ないといいたいところだが、彼らの身なりのせいか、兵士が四六時中そばについていた。トイレにもついてきた。それはイランを出るまで続いた。 とうとう採集目的国トルコに入った。そこは天国だった。彼らはすぐ日本に帰国せず、トルコで骨休みをした。
こんな悲惨な旅行をどうしてしたのだろう。 日本で毎日毎晩長距離バスに乗り続けて一週間続けたらどんなに疲れることだろうか・。 そんな旅行を四週間も続けたのである。 しかも、言葉の通じないところで、衛生状態の悪く、治安も日本みたいによいところではなくて。
5万4千円はバス代、タクシー代の合計であって このほかホテル代とか食事代がかかった。 それにしても安い過激な旅行だった。
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