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[No.16129] 桑野淳一:韓国古寺紀行 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/17(Wed) 08:25
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桑野淳一:韓国古寺紀行 日本仏教の源流を訪ねて

この本で扱われている仏教寺院は次のようになる。
畿湖
 曹渓寺 修徳寺
湖西
 霊隠寺 法住寺 
湖南
 灌燭寺 金山寺 仏甲寺 雲住寺 松広寺 華厳寺
嶺南
 通度寺 梵魚寺 仏国寺 桐華寺 海印寺 桃李寺 直指寺 浮石寺
関東
 月精寺 神興寺 洛山寺

この本によると
韓国の仏教は大部分が曹渓宗(禅宗)である。他にも太古、真覚、天台、浄土などの宗派がある。
著者がある人から聞いた話では
仏教徒は15パーセント、キリスト(天主教、カトリックのこと)は16パーセント、クリスチャン(教会、プロテスタントのこと)は17パーセント、ほかはほとんど宗教はあってもないようなものだが、この中の3割くらいは仏教徒である。
韓国の仏教徒の約7割は禅をする。キリスト(カトリック)はこの座禅を精神修養にはよいとして是認している。
儒教はといえば、ほぼ全員が儒教である。儒教の上に仏教だったりキリストだったりクリスチャンだったりする。
人は死ぬと仏教徒でもキリストでもクリスチャンでも儒教の葬式をするのだから。
教会は町にあって日常のドロドロした人間関係の中で救いを求めるのに対して、仏教は山の中で就業に励むようなイメージがある。仏教は政治的には影響力はそんなにないから、むしろ透明で清々しい。もっとわかりやすく言えば山を愛する人々の自然の中の山小屋みたいなものである。

著者によれば
百済をつくった扶余族は古代中国東北地方(満州)の北縁あるいはシベリアから南下した民族である。南下して高句麗、そして百済の国をつくった。そして日本にやってきた。
簡単に言えば、シベリアに発した北方モンゴロイドの一部は南下し中国の遼寧に住み、更に南下して高句麗に住み、更に南下して百済に住み、更に南下したた者は海を渡り日本に住みついた。

公州はかつて熊津と呼ばれていたが、これは熊津、すなわち熊州(コムジュ)が公州(コムジュ)に転化したとも言われている。
公州の川、錦江はクムガンと発音し、その支流琴江もクムガンである。琴江の前に立つ金剛寺もクムガンであり、これなど熊津(クムガン)と奇妙な一致を見る。

有名な武寧王陵の
百済第二十五代の武寧王は日本の九州筑紫の島に生まれたと言われている。

日本では神仏習合であるのに対して、韓国では巫仏習合である。
儒教では死んだ自分の子どもの死霊を祀ることが原則的にはできない。早死や未婚死の霊魂は儒教では雑鬼になる。しかしシャーマニズムでは巫俗儀礼を通して、死霊から祖先神へ転換し子孫の守護神なる。
シャーマニズムはむしろ不幸な死者の恨みを祓うという機能がある。それが父系性の強い韓国社会において女性の社会に対する欲求不満や恨みの感情を祓うということにもつながってきた。仏教寺院の中にあるシャーマニズムの祀るところに女性の姿が多く見られる理由である。

韓国も日本仏教の源流の一つだが、やはり全体的には中国であろうと思う。


[No.16140] Re: 桑野淳一:韓国古寺紀行 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/19(Fri) 21:24
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> 桑野淳一:韓国古寺紀行 日本仏教の源流を訪ねて

> 教会は町にあって日常のドロドロした人間関係の中で救いを求めるのに対して、仏教は山の中で就業に励むようなイメージがある。

 就業→修行

> 有名な武寧王陵の
> 百済第二十五代の武寧王は日本の九州筑紫の島に生まれたと言われている。

これは日本書紀にも書かれているようですね。
なお、古代朝鮮の史書『三国史記』に、武寧王のことが書かれていないようですが
私が他で紹介したように、この史書の著者が旧新羅の出身のため、新羅のことを必要以上に記載し、高句麗や百済のことをあまり書かない傾向がありました。
『三国史記』の著者は高句麗の流れをくむ渤海のことを書いていないのですが、この著者の偏りを17、18世紀になってから朝鮮半島の歴史学者が指摘するわけです。
現代の韓国の歴史学者もしたがって『三国史記』の記述の偏りを批判しています。

> 儒教では死んだ自分の子どもの死霊を祀ることが原則的にはできない。早死や未婚死の霊魂は儒教では雑鬼になる。しかしシャーマニズムでは巫俗儀礼を通して、死霊から祖先神へ転換し子孫の守護神なる。

日本でも早く死んだ子どもが極楽にいって幸せになるよう親は祈ります。
また未婚の息子が亡くなった場合、花嫁のことを考慮することが見られます。

> 韓国も日本仏教の源流の一つだが、やはり全体的には中国であろうと思う。

日本の仏教はたしかに韓国からの影響は受けていますが
全体的には中国からの影響が多いでしょう。
最澄と空海、それから禅宗の僧侶などの例をあげるまでもなく。