自分は第一人称、会話の相手は第二人称 二人の会話に出てる人物は第三人称 これらの会話を外から観察する人は第四人称 と定義する。
あるいは 第一人称、第二人称、第三人称によってつくられるのがコンテクストで このコンテクストが本などに書かれてあって、それを引用する人は 第一人称、第二人称でないのはもちろん、第三人称でもない。 その外側の存在である。そういう場合に、この本の著者は第四人称とよんでいる。 第一人称、第二人称、第三人称のコンテクストから独立した存在の読者も第四人称であるし、そういう話をまた聞く人もそうである。
第四人称ということばをはじめて用いたのは横光利一である。
大町桂月は奥入瀬の美しさに感動して宣伝して世に知らしめた。 奥入瀬の近くに住んでいる人たちからすればただの土地で、他所の人から賞賛されたことに驚いたろう。 もし、大町桂月も生まれたときから奥入瀬を見慣れていたとしたら、これが天下の名勝だとは夢にも思わなかったに違いない。旅行者だったからこそ、その美しさを発見できたのである。
富士が美しいのは遠望のときである。山に入ってみれば岩の塊で、秀麗な姿など想像することもできない。遠くはなれると、近くではわからないところが見え、それが美しい。近づいては美しさがわからない。人間の認識が相対的であることを暗示する。
古里は遠くにありて思うもの。 だいたい古里は、故郷をはなれたときにのみ存在するのである。一生同じ所に住む人に古里がないのは当然であるが、他郷へ出ていても、郷里に帰れば、そのときは古里は消える。なつかしく思いたかったら、故郷に近づいてはいけない。
従僕に英雄なし、ということわざがある。 世間では英雄、偉人とあがめられている人物がいるとする。尊敬するのは、見ず知らずの人たちである。 もっとも近くにいる召使いは、もっともよくその偉大さを知っていてよさそうなのに、むしろ逆である。主人の身のまわりの世話をしている従僕には、小さな欠点の方が目立ち、離れていなければわからない風貌をみることがない。人がどんなに誉めようと、召使いは賛同しない。
ひとの伝記を書くには、生前のその人をよく知っていることが条件のようであると考えられる。しかし、実際、本人をよく知っているとかえって良い伝記が書けないということもある。 本人をよく知っているといえば、配偶者、肉親などにまさるものはないが、そういう人たちの書いた伝記で後に残るということはまずあり得ない。
すぐれた伝記の作者は、本人に近すぎてはいけないようである。たえず会っていたというような人間ではすぐれた伝記を書くのが難しい。生前、会ったことが、一度か二度、といった縁遠い人がしっかりした、すぐれた伝記を書く。
そう考えると、自分で自分のことを書く自伝がいかに難しいかが想像される。
|