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[No.16156] 旅ゆけば小沢昭一的こころ 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/23(Tue) 09:14
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新潮文庫  昭和五十九年発行

昭和18年に封切られた東宝映画
「伊那節仁義(サブタイトル“伊那の勘太郎”)」は空前の大ヒットだった。
長谷川一夫、山田五十鈴主演、監督は稲垣浩であった。
     
  「伊那の勘太郎月夜唄」  小畑 実  昭和18年
    影か柳か 勘太郎さんか   
    伊那は七谷 糸ひく煙り

昭和27年に大映がまた映画化
主演・長谷川一夫、ヒロイン・音羽信子
「勘太郎月夜唄」
これまた空前の大ヒットを記録した。
伊那市と伊那商工会議所は、春日公園に「伊那の勘太郎碑」を建立した。
その石碑の揮毫は当時の大映社長、永田氏によるものである。

小沢昭一は伊那に行く。
春日公園の石碑を読んで
やくざ渡世だけならいいのに、水戸の天狗党を助けたという下りを読んで興ざめする小沢昭一。
だが、それにはうらがあって
この映画は幕末に実際に伊那谷を通行した水戸藩の勤王党「天狗党」を勘太郎が手助けをするという筋立てで辛うじて検閲を通過した。

「伊那の勘太郎」は、実在の人間ではなく、映画化するときに考えられた名前であった。
つまり、稲垣監督の通称「いなかん」から採ったのが、「いなのかんたろう」だったのである。
これを知って小沢昭一は更にがっかりする。