新潮文庫 昭和五十九年発行
昭和18年に封切られた東宝映画 「伊那節仁義(サブタイトル“伊那の勘太郎”)」は空前の大ヒットだった。 長谷川一夫、山田五十鈴主演、監督は稲垣浩であった。 「伊那の勘太郎月夜唄」 小畑 実 昭和18年 影か柳か 勘太郎さんか 伊那は七谷 糸ひく煙り
昭和27年に大映がまた映画化 主演・長谷川一夫、ヒロイン・音羽信子 「勘太郎月夜唄」 これまた空前の大ヒットを記録した。 伊那市と伊那商工会議所は、春日公園に「伊那の勘太郎碑」を建立した。 その石碑の揮毫は当時の大映社長、永田氏によるものである。
小沢昭一は伊那に行く。 春日公園の石碑を読んで やくざ渡世だけならいいのに、水戸の天狗党を助けたという下りを読んで興ざめする小沢昭一。 だが、それにはうらがあって この映画は幕末に実際に伊那谷を通行した水戸藩の勤王党「天狗党」を勘太郎が手助けをするという筋立てで辛うじて検閲を通過した。
「伊那の勘太郎」は、実在の人間ではなく、映画化するときに考えられた名前であった。 つまり、稲垣監督の通称「いなかん」から採ったのが、「いなのかんたろう」だったのである。 これを知って小沢昭一は更にがっかりする。
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