いま 江戸東京博物館で「林芙美子と東京放浪」の展示中です。 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/index.html > 2010年(平成22)は林芙美子の『放浪記』が刊行されて80年になります。 >1930年(昭和5)の刊行当時、大ベストセラーとなった『放浪記』は、舞台化や映画化もされるなど、時代を超えて読まれてきた作品です。 >昨年5月には、女優の森光子さんが2000回の舞台を踏んだ事でも話題となりました。 >行商の両親に連れられて北九州を転々とした後、広島・尾道で青春時代を過ごした芙美子は、1922年(大正11)、恋人を追って上京するも破局。 >ひとり残った東京で、事務員や女工、カフェーの女給などをしながらたくましく生きていきます。
> 展示では、関東大震災を機に大きく変貌をとげた東京の様相や風俗も紹介します。 >都市に一人で生活をする女性の先駆けとも言われた林芙美子の作品と人生をとおして、単身生活者が増加する東京の現在と未来についても考える機会にします。
私は一時期、新潟県の雁木通りを見て回り 直江津まで行ったことがあります。 とうぜん直江兼続に関する展示があり、それも見てきました。 安寿姫と厨子王の像を発見して見てきました。 陸奥(むつ)国の岩城判官正氏は讒言によって筑紫に流されるが、その子安寿姫と厨子王は母とともに父を尋ねて流浪の旅に出て直江津に至る。 そこで人買い山岡太夫にだまされ、母は佐渡へ、二人は由良の山椒太夫に売られて、奴婢として酷使される。
駅の近くに継続だんごの店があり、駅構内にも林芙美子の放浪記の中の一節が紹介され、継続だんごが宣伝されていました。 このだんごを買ってきたのですが、いわゆる普通の団子ではなく日もちがするだんごで家族の評判はいまいちでした。 帰ってから「放浪記」を読んだのですが、江戸東京博物館の展示を見て昨日 改めて大学図書館の林芙美子全集1巻(文泉堂出版、昭和52年)を借りて読み直ししました。
彼女の母親は、駆け落ちのようにして、彼女と彼女の父親の三人で鹿児島を出てきたのだが 母は商売で成功して金持ちになった男に捨てられ、しかたなく母娘は実父の店の店員と暮らすようになり、この男が彼女の養父となるのです。 貧しい行商人をして暮らしたので、毎日木賃宿の生活だったといいます。 蛇足ですが、木賃宿(きちんやど)とは、江戸時代以前から、燃料代程度もしくは相応の宿賃で 旅人を宿泊させた最下層の旅籠のことです。
のちに彼女が作家として大成し生活も安定すると、両親を引き取って世話するようになりますが 長年の生活の習慣がぬけないのか、両親はだまって生活していればよいのに 彼女からの資金で何か商売をして損をしてしまいます。そんなことを繰り返します。 彼女はあきれて、母親にも父親にも内心あいそをつかすのですが、育ててくれた恩があるので死ぬまで世話を続けます。 母娘のつらい生活の時期に、母親にも父と別れるよう彼女は言うのですが、理屈でわかっていても母は夫と別れられず、かえって娘に「あんなはむごいことを言う」とこぼします。
乱暴な詩人の男と別れて、おだやかな画家の夫と結婚した林芙美子は 以後は生活も心も落ち着き、作家としても成功します。 男で苦労して最後は幸せな人生にたどりつき、いろいろな思いを小説に書いた彼女は もっと生きていたらまだまだ作品が残せたことでしょう。
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