「ちくま」の巻頭の連載エッセイをまとめたもの。 連載を始めるとき、タイトルを聞かれて、「とりあえず、なにか仮の題でも」と編集者から言われたときひらめいた。「なに、とりあえず? それだ! それをもらおう」 こうして「人間、とりあえず主義」というタイトルが生まれた。 これは内容をよく表しているタイトルになった。
著者は生まれてから、とりあえず生きてきた。いつでもとりあえずで、本格的に生きてきたことがないのが、最大の欠点になろうか。人生仮採用のままで、本採用にならずに退職するようなものだと著者は書いている。
実際に精神科医としても、とりあえず主義でやってきた。 「まだここが悪い、まだ病気が完全に治っていない、すっかり治ってから人生を再開したい」という神経症の患者に 「これまで七年もかかってまだ治らない病気が、すっかり治るのはいつか、きみに分かるかい。だれにも分からないよ。だが、明日や明後日でないことははっきりしているな。それまで生きるのを中止しているか、それとも病気を背負って、七分の力しか出せなくとも、とりあえず人生を再開するか、きみはどっちをとる?」と質問し、とりあえず生きていくことを勧めてきた。 これはまさしくとりあえず主義であろう。
ティル・オイレンシュピーゲルが、城門の前に立っていて、通りかかった旅人に「次の町まで何時間かかる」と聞かれて、彼はただ「歩け」と答えるだけだった。 とりあえず歩いてもらわなければ、「そのあんなの足でなら、隣の町に着くころには夜になるな」と答えるわけにはいかない、というのがティルの言い分である。 (ティル・オイレンシュピーゲルはドイツの中世の話の主人公であるが、この話はイソップにあったと記憶している)
初老期のうつ病の患者たちと話をしていると、気づくことがある。それは、かれらが、自分たちの年齢が中途半端だと考えていることだ。「これまで死ぬまでに仕上げたいと思っていた仕事がある。だが、この年齢から始めたら、きっと中途半端なところで死ぬだろう。完成させることはむずかしい」 そう考え、中途半端で屋根のない建物みたいなものになってしまうのなら、何の価値もない、と断念してしまう。そして、人によっては、生きていてもすることがないと、生きることさえ無意味に思うようになる。
この人たちが元気な顔を見せるのは、人間いつ死ぬかは分からない、死ぬまではとりあえず生きていこう、生きていられれば完成できる、それでいいではないかと考え、とりあえず大仕事にも着手するようになったときだ。 「とりあえず今日を生きなければ、明日は来ない。ねえ先生」 初老期うつ病の患者が、そういうようになったら、この人はなんとか生きていくだろうと判断した。なんのことはない、かれがとりあえず主義者になったということである。
ノーマン・フィンケルシュタインの「ホロコースト・インダストリー」を読む。 この本の著者もアウシュヴィッツ生き残りを両親にもつユダヤ系アメリカ人である。
この本のテーマは、ナチスによって行われたホロコーストがイスラエルという国家を弁護するために用いられている大文字のホロコーストに、いかにすりかえられていったかの検証である。
ユダヤ人は確かにドイツで史上まれに見る迫害を受けた。それはまぎれもない事実だが、だからといって、かれらはそれによって特別な民族になり、すべてが許されるようになったわけではない。 しかし、現実のイスラエルはどうか。世界のあちこちで似たような状況が起これば、非人道的だ、人類に対する犯罪だと、国際的な非難を浴びそうなことをしている。 だが、イスラエルは、他の民族がやるなら咎められるべきだが、自分たちは特別なのだ、と主張する。そしてやめようとしない。 それは 「イスラエルの場合は特別なのだ。なにをやっても許されるのだ。なぜなら自分たちはホロコーストの犠牲者だから」 という主張に国際世論が沈黙させられてしまうからである。
このようにイスラエルの行動の弁護の道具になったのが大文字のホロコーストであり、その運動の中で大きな役割を果たしたのがエリー・ウイーゼルだ。 このノーベル平和賞受賞者は、世界のあらゆるところに顔を出し、イスラエルを批判する人間に反ユダヤ主義のレッテルを貼り、イスラエル批判を封じて歩いている。日本でもなんでこの人がと思われる人物が、かれに反ユダヤ主義者のレッテルを貼られた。 なだいなだも、この本を紹介することで、反ユダヤのレッテルを貼られる日も遠くないだろうと、なだ本人が書く。
アメリカ在住のユダヤ人社会の、このホロコーストのイデオロギー化、あるいは宗教化、そして賠償請求によるビジネス化を、フィンケルシュタインは「ホロコースト・インダストリー」だという。 この運動あるいはビジネスは、1967年の中東戦争以後の、和平の先行きが不透明になった時代に生まれた。 そしてこれこそが、中東和平の障害物になっているのだ。
同時多発テロ事件の直後、テレビは衝撃的なシーンを繰り返し繰り返し見せる。 こうして何百人の生命が失われる瞬間の映像を、一日の間に 何十ぺんと見せつけられると、精神は動揺してしまう。むしろ動揺しない人間の方が異常であろう。ただ自分が動揺していることは自覚しているべきだろう。
落ち着くためのノウハウを紹介しよう。世界の中での自分の位置を見つめる努力をすることだ。 著者の患者は、世界貿易センタービルの崩落の映像を見たとき、一瞬こころがアメリカに行ってしまっていた。 テレビカメラの置かれた場所に行ってしまっていたのだ。 そして望遠レンズの視野になっていたのだ。自分は日本にいたのだっけ、と思い出せば、少しは視野が広がる。
報復だと言っているアメリカ人から、私は日本人だったっけと、日本人に戻れば、距離をあけることができる。 そして、アメリカ人とテロリストを二つとも視野に置くことができる。 当然、テロリストがそこまで深くアメリカを恨むようになったのはなぜか、と考えることもできる。 その逆に、共同の敵だなといい、アメリカ人と距離をつめてしまうと、冷静にものが見えなくなる。
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