明石書店 この出版社はアジア関係のものが多い。 良心的な本を出版している出版社である。
朝鮮通信使の歴史は豊臣秀吉以前からも長い歴史があったが この本では 豊臣秀吉の朝鮮侵略から江戸時代までを主にあつかっている。 1811年の第12回朝鮮通信使が最後 このときは費用の関係で通信使の応接は津島で行われ、江戸には行かなかった。
和冦対策として、15世紀前半から朝鮮は朝鮮通信使を派遣した。日本は日本国王使を派遣した。
沙也可はなぜ朝鮮に帰順したのか 司馬遼太郎は、沙也可は秀吉に滅亡させられた鉄砲部隊の雑賀衆の一族だったのではないかと推定していたが この本では他にも二つの説を紹介している。(全部で三つの説を紹介している) 第一説 豊臣秀吉の戦国統一過程で滅亡した反秀吉勢力の一人だったので帰順した 第二説 豊臣秀吉軍に滅亡させられた鉄砲部隊であったので帰順した 第三説 朝鮮と儒教文化にあこがれたので帰順した
秀吉の戦争で多くの朝鮮人が捕虜として日本に連れてこられたが 1601〜1643年にかけて7回にわたって希望者は朝鮮に返された。 その合計は3616人になる。
帰国希望者がもういなくなったから、この帰国制度はやめたと、ものの本に書いてあるが 本人は帰りたくても藩主がゆるさなかったりして帰れない人もいた。
日本に連れてこられた朝鮮人の中には 日本の学問や技術を発展させた功労者も少なくない。 具体的な人名をあげてこの本では説明している。 たとえば 藤原惺窩に朝鮮の朱子学を伝えた儒学者姜(きょうこう) 陶磁器の陶工たち、その中には有田焼の李参平(陶祖李参平碑も建立された)や薩摩焼の沈当吉もいる。
|