ふくろうの本 上杉謙信と上杉鷹山 河出書房新社 1999年
上杉謙信は、越後守護代・長尾為景の子として春日山城に生まれる。 母は同じく越後栖吉(すよし)城主・長尾房景の娘で虎御前。 謙信は長男ではなかったが、兄たちより有能だったため、回りが協力して 越後の指導者に担ぎ上げた。
謙信の幼名虎千代は元服して長尾景虎と名乗り、兄晴景の命を受け、古志郡司として春日山城を出立して三条城、次いで栃尾城に入る。 その目的は中郡(なかごおり)の反守護代勢力を討平した上で長尾家領を統治し、さらに下郡(しもごおり)の揚北衆を制圧することであった。
15歳の景虎を若輩と軽んじた近辺の豪族は栃尾城に攻めよせた。 しかし戦略にすぐれた景虎は少数の城兵を二手に分け、一隊に傘松に陣を張る敵本陣の背後を急襲させた。混乱する敵軍に対し、さらに城内から本隊を突撃させることで壊滅させることに成功。謀反を鎮圧することで初陣を飾った(栃尾城の戦い)。
雁木を見に行った栃尾にはそういうわけで上杉謙信にまつわるものがあった。 上杉謙信政権の経済を支えたもの青苧(カラムシ)繊維から織った越後上布と金銀山である。
上杉謙信のあとの上杉景勝と直江兼続の活躍があるのだが、この1999年に出た本にも上杉家が米沢藩として奇跡的に残ったことに関して、二人の功績が書かれてある。
上杉鷹山 経済破綻した米沢藩の再生に成功した名君 だが彼は養子だった。 父は日向高鍋藩主・秋月種美、母は黒田長貞の娘・春姫 母方の祖母の瑞耀院が米沢藩第4代藩主・綱憲の娘のため このことが縁で、10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。
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