この本にはいろんなコンプレックスが紹介されてある。 母親コンプレックス 星の王子さまコンプレックス 自己愛コンプレックス 家族をめぐるコンプレックス 劣等コンプレックス 完璧コンプレックス トラウマ・コンプレックス
そもそもコンプレックスとは何か。 我々がコンプレックスというと、すぐ劣等感にむすびつく劣等コンプレックスを思い浮かべるが この反対の 優越感コンプレックス(これに近いのは自己愛コンプレックス)というのもある。
コンプレックスとは文字どおり、感情複合体といいます。 わかりやすく言えば、心の中の感情のさまざまな集まりです。 この本ではその点をうまく説明していません(具体的な例はたくさん紹介しているが)。少なくとも私には納得のいく説明がないのです。 むしろ 河合隼雄の本に書いてある説明の方がわかりやすかった。 それは 人の心の中の状態を船にたとえて 船長が二人いる状態のようなものだというのです。 この二人の船長は実は自分自身のことなのですが 普通は心のまとめ役は一人なので、価値判断、行動判断も一人管理のもとに統一されるのですが 二人の船長がいると、自分でしたことが、あとからすぐ反論というか迷いが生じて それはノイローゼによくみられるのですが コンプレックスでは本人も(船長が二人という事態は)自覚できないで 他人から見れば、おかしなことをしている、異常行動と思われることになるのです。
例としてあげているのを紹介します。 太宰治の場合、母親が弱くて 乳母に育てられたあと、叔母のもとで育てられたのです。 彼は母の愛情を知らないまま成長していったので 人間や社会に対する不信感・不安感が募り、心が安定することはありませんでした。 そのため睡眠薬やアルコールに依存してしまいました。 女性関係も乱れ、結婚しても愛人をつくったりしていました。 そこには、母親に似たもの、母性的な安らぎを求めていた形跡を認めることができると、この著者は書いています。 (この本ではないが、別の本では石川啄木の場合、女ばかり生まれて、男の啄木がやっと生まれため母親は溺愛して、その結果啄木はワガママとなった。本郷時代、夜中に啄木は母親に酒を買ってこいと命じ母親は閉まっている酒屋の戸を叩いて起こして酒を買う苦労を金田一京助にこぼします)
夏目漱石は生後にすぐ里子に出され、三歳の時養子となり、九歳になってようやく実家に引き取られます。また、籍が戻ったのは二十二歳の時でした。 そのため、本当の親の愛情とはどんなものかを知らぬまま育ったのです。 本当の親の愛情を知らないということは、生きていくうえでの基本的な感覚や信頼感というものが欠けてしまったり、不安定なまま生きていくということです。 このような人たちは、自分の人生を支える価値観、哲学といったものを完成することなしには、安定することはないでしょう。 漱石の場合は、この境遇がかえって独自の人生観を達成することにつながり、文学者としての成功があったのだと思います。
マリリン・モンローの場合は、生まれながらにして愛情という確かな感覚はありませんでした。 彼女はそもそも私生児として生まれました。精神障害のあった母親は間もなくうつ病で精神病院に収容されため、孤児院や里親のもとで育ちました。 こうした体験によるコンプレックスは、彼女が若くして生涯を閉じるまでつきまとっていたのでした。 何か確かなものがほしい、絶対的な親密さがほしいというのが、マリリン・モンローの人生のテーマでした。 いっぽう、彼女は自分で絶対の親密さや愛情を得るためには、自分が女であることを強烈にアピールしなければいけないというジレンマに陥っていたともいえます。 つまり、そのことで男性を誘惑し、本当の親密さを得ようとするのですが、男性は彼女の本当の心の親密さを要求していることに気づくことはなかったのです。 (彼女は何度も結婚しているので、夫との間の生活を続ける努力とか意欲とかが不足していたのだと私は考えますが。要するに、夫は妻が普通の女ではなく、特別世話しなければいけない幼い心の女だという自覚があればよかったという私の意見です。もっとも医者と患者の関係を結婚生活に認める男はあまりいないでしょうげと)
川端康成の場合 やはり幼児期に両親を失い、祖母夫婦に育てられるが、その祖母夫婦も間もなく亡くなり、完全な孤独の少年になって親戚に引き取られて育つのです。 川端康成の表情を思い浮かべると、大きく開かれ、じっと見つめるその目は、恐ろしいほどの孤独を表しています。死というもの、人間はひとりでしかないという自覚、それを堪えることが自分の人生であるという観念した表情ともいえます。
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