宮脇俊三:「最長片道切符の旅」取材ノート
宮脇俊三:「最長片道切符の旅」は1979年に発行された。 この旅は1978年10月13日から12月20日まで、正味34日間を費やして決行された。 そのときの取材ノートを著者の娘の灯子が見つけたので 上記の本と合わせて読むと、この約三ヶ月の一筆書き鉄道旅行がいっそうよく理解されるだろう。 この取材ノートのほうは平成20(2008)年発行の本である。
この「最長片道切符の旅」の当時あった鉄道も現在はなくなったものがかなりある。 たとえば、北海道の広尾線や池北線や羽幌線や胆振線はなくなってしまった。
秋のうちに紅葉の北海道や東北を回り、寒くなると四国や九州を回るように計画をたてて実行したが、それでも寒い宿の状況も書かれている。山には雪も積もっているのだ。 駅弁も400〜500円くらいで当時の物価がしのばれる。 宿やビジネスホテルの値段が高い割りにサービスの良くないのに出会うと、著者はまだまだ勉強が足りないと自覚する。
この一筆書き旅行も一気に決行したのではなく、計画された路線の一定区間を乗車したらまた東京に戻るということをくり返して一筆書きを達成したのである。徒歩で歩く東海道とか中山道ウォークというのも、やはりそういうやりかたであろう。
屋根や瓦の変化から、県境と重ならない文化圏の違いを読み取るのは、この著者ならではの感覚。 たとえば姫路線では、姫路からずっと「トタンと瓦を併せたり、棟を少しずつずらしてみたり」した複雑な屋根ばかりが目立っていたのが、播磨新宮を境に「単純な切妻ばかり」になる。 また出雲市から乗った山陰本線では、瓦屋根の色が茶と黒だったのが、出雲から石見に入ったとたん「8割がた茶色」になる。 わざわざ途中下車しなくても、移り変わる車窓風景を注意深く観察するだけで、独特な日本文化論となっている。
女子高生は、外が寒いせいか、乗り込みたては頬が赤いが、まもなく車内の温かみで白くなる。(田沢湖線田沢湖) 米坂線で乗り合わせた、不確かな知識をひけらかす「物知り」の団体 身延線の中年男は「戦争中のことを思えば...」という言葉を繰り返し、篠栗線のおじさんは「ガダルカナルの遺骨収集で土人を使う」などと言う
私は酔っている、という言葉がしきりに出てくる。良い旅だったらしい。 朝から何も食べていない。やっと昼食にありつく。カツドンほどウマイものはないと思うとき。
私の冬の旅も本日いちおう終りてす。
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