潮木守一:職業としての大学教授 中公叢書 著者は名古屋大学名誉教授。元日本教育社会学会会長。教育学博士(東京大学)
過去五十年、世界の大学が大拡張にどう対応したのかと比較して 日本の大学の教員採用の問題点を指摘した本である。
日本の大学教員の構造が、他国のピラミッド型に反して、煙突形となっていることを指摘したのは、1965年の新堀通也であった。 日本以外の国では、最後の教授ポストにたどりつくまでに厳しい淘汰・競争があるのに、日本では年齢とともに自動的に教授ポストまで昇進できる仕組みになっているとされてきた。 これが日本の学問の活性化を妨げる元凶だと言われてきた。
過去五十年間、ここで比較の対象にあげた国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ)ではどこでも、大学教員の大量採用が行われたが、それにもかかわらず、他の国では依然としてピラミッド型が維持されている。それに対して、日本では煙突形が克服されたどころか、それを通り越して、いまや逆ピラミッド型になってしまった。 つまり大学教員のなかで教授の占める割合は、日本以外の国ではせいぜい20パーセント程度であるのに、日本では40パーセントに達し、他国には見られない、頭部の肥大した特異な形となった。
さらにはまた日本以外の国では、教授の質と水準を維持するために、何らかの全国的な評価システムを持っているのに対して、日本は「大学の自治」や「学部の自治」の名のもとに外部評価を阻む制度、仲間同士でかばい合い、もたれ合う仕組みができあがった。
さらにまた日本の大学教員は我が身を守ることには懸命になるが、その後継者世代をどうやって確保するかに対してはきわめて冷淡で、その結果、博士課程は目下、いまだかつて経験したことのない危機的な状況に陥ってしまった。
現在、博士課程から年間一万六千人の卒業者が出ている。しかし現在十七万人という大学教員の規模は、今後十八歳人口の減少とともに、減少せざるをえない。今後十年間をみると、年々新規採用数はせいぜい五千人程度、多くみても八千人程度にしかならない。つまり博士課程修了者の半分しか吸収する能力はない。
こうした日本の大学教員養成の制度設計を見直す必要がある。
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著者の指摘することは当時としては妥当なことも多いが 現代の大学の事情は異なってきている。
日本の大学では教授になってしまえば あとは何も業績を上げなくても、学生の指導をしなくても (大学に一週間に一度しか出てこなくても)定年まで教授でいられたのはもはや過去のこと。
たいていの大学では、数年ごとの業績審査が行われる。 研究、教育、学内組織運営、社会貢献などに関して点数化が行われ それによって給料や研究費配分に反映される。
こうなったとは 大学紛争後の、無能な教授の弾劾があったからというよりは 日本経済の悪化に伴い、大学に配分される国家予算が年々縮小されるため 何とかしないと生きられないという大学を取り囲む客観情勢のせいである。 子どもの少子化により、大学が入学者の奪い合いになっている現状もある。
この著者は 海外の大学のように、教員の採用においても、なるべく出身大学にそのまま採用されるのではなく 他の大学に採用されて一定の経過後に母校の教員になる例や 大学院を他の大学で研究して一種の武者修行のすすめを説いているが これからは一層日本もそうなるであろう。
それにしても この著者の出身の本郷の大学こそは 自前の出身大学者で占めるのではなく、もっと他の大学出身者を採用すべきであろう。 地方大学によっては、なかなかその大学の卒業生はその大学の教授にはなれない。 研究環境も劣悪であるから、ある程度年をとってから昇格するのが多いのだが 旧帝大から若い博士課程を出た研究者が採用されるのを見ると内心は愉快ではない。 実際にそういう声を何度か聞いた。 だから、その大学を出た教授が何人いるのか、あるいはその大学の出身者が母校の学長になったという話は、その大学の成長を物語ることになるのだが この著者は、そういう歴史の浅い大学の成長物語という観点が欠けているように思われる。(やはり旧帝大出身者の目で厳しく他の大学を見ているような気がする)
私立大学は教授の数が多いのに対して、若い助教(助手)などが少ないのは 大学経営者の都合もある。つまり、悪く言えば使い捨てという考え方で、若い研究者を育てて自前の教授を育てるというシステムをとっていないからであろう。
そういう内部の事情にふれないで、目に見える統計データだけで議論を進めるきらいがあるのが問題であると感じた。
教育観にもよるのだが 立派な研究者は、研究をするだけでなく、若い研究者を育てようとするものである。 特に理科系は学生のめんどうをみる教授が多いと思われるが、この著者のような文科系の場合では、教授が学生の研究指導や就職指導をあまりしないのかもしれない。
いずれにせよ これからの大学教授は どんどん研究環境が悪くなる中で、一層の業績を求められるのだから 大変である。
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