楽学ブックス 文学歴史2 奥の細道を歩く JTBパブリッシング
深川から松島へ 深川 隅田川にかかる新大橋、清洲橋 小名木川の万年橋 芭蕉記念館 地図を見ていると、次の機会には清澄白河駅近くの深川江戸資料館に行ってみなくてはと思う。 塩竈、松島をとおり石巻の日和山の上には芭蕉像がある。石巻から北上川ほさかのぼり登米(とよま)に、ここにも芭蕉歌碑はある。 http://hpcgi2.nifty.com/hirotayo/joyful.cgi
平泉から象潟へ この本では、芭蕉の奥の細道のハイライトとして、松島、平泉、象潟をあげている。 (私なら山寺=立石寺もあげたいが) 芭蕉当時の象潟は、陸地が水没した入江であった。しかし、その後の大地震で隆起して入江は陸地となってしまった。今も点々と見える松の茂る小丘はかつての島である。 http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/07-mm/wforum.cgi?no=14271&mode=allread#14274
象潟から大垣へ 親不知・市振での句「一家(ひとついえ)に遊女もねたり萩と月」 小松での句「あなむざん兜の下のきりぎりす」は謡曲「実盛」の樋口次郎のせりふ「あなむざんやな、斎藤別当にて候ひけるぞや」から取ったもの。 新暦十月四日ころ、奥の細道の旅のゴールインの大垣で、芭蕉は門弟たちに歓迎される。 ーーーーーーーー
小松での句「あなむざん兜の下のきりぎりす」は後に推敲して 「むざんやな兜の下のきりぎりす」となります。 この句と「一家に遊女もねたり萩と月」は 横溝正史の「獄門島」に使われます。 いわゆる、俳句殺人事件です。
あの推理小説は、戦後のいろいろな問題を反映しているのですが 作者はいつものように妻に作ったばかり小説のあらすじを語って聞かせます。 すると妻は「で、犯人は○○でしょう」と思いがけないことを言います。 「これだから素人はこまる」と作者は笑ったそうですが、後でよく考えると 妻のような犯人の設置もいいかもしれないと、妻のアイデアを採用してああなったそうです。
「獄門島」では、三姉妹の母親が旅役者であったことが紹介され いくら美しくても旅役者は一段低い存在とされていた当時の身分制のことが語られます。 「伊豆の踊子」にも村はずれに「旅芸人村に入るべからず」という立て札が立てられてあることが書かれてましたね。
旅芸人は昔、安倍晴明によって草が人間にされ、また草に戻されそうになったとき頼んで人間のまま残されたその子孫だという説明が「獄門島」で語られています。
「旅芸人、白拍子、占い」という一連のキーワードは傀儡子につながり 柳田国男の朝鮮からの移住説がでてくるのですが、それはいずれあとで。
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