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[No.16481] 渡部武:中江藤樹 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/31(Mon) 12:29
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清水書院 昭和49年

中江藤樹は江戸時代初期の儒学者で、わが国における陽明学の祖とされている。
その徳行を通じて近江聖人と称され、理想的人間像として親しまれてきた。
明治37年修身教科書が国定となってから、昭和20年まで
修身教科書には一貫して藤樹が取りあげられたのであった。

忠臣は二君に仕えずといわれているが
主君を絶対にかえていけないのか。
これに答える藤樹は「孟子」を引用する。

むかし中国で百里奚(ひゃくりけい)が虞の国を去って
秦の繆公(ぼくこう)に仕え、宰相として大活躍した。
孟子はこの百里奚の行動を、彼が賢人であったことの証拠として
是認した。
この故事からすれば、主君をかえるのは士道でないというのは
一面的な狭い考え方ではないだろうか。

このところをどう考えるか。
藤樹にすれば、百里奚のように心がいさぎよく身も修まり
名利もはかる欲心もなくて、その時の運や事の勢いでやむを得ず
主君をかえるのは、古来の正しい士道である。
その心が汚れ身が修まらず、立身をはかる欲心ばかりが先に立って
何の道理もなく、また別段やむを得ない事情もないのに
主君をかえるのは士道ではない。

主君をかえないのが正しい士道だとか、逆に主君をかえるのが正しい士道
だとか断定することは、どちらも誤りである。
大切なのは、心がいさぎよく義理にかなうことである。
そうであれば、二君に仕えないのも、仕えるのも、ともに正しい
士道である。

藤樹は、主君も臣下たる士もともに私を去って、天下国家を治めて
道を実現するために、それぞれの位において力を合わせなくては
ならないとし、そこにまた正しい主従関係が成立するとした。
そして、主従道徳はこのような正しい主従関係を前提として
成立するものである。

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福沢諭吉が
勝海舟と榎本武揚を
江戸幕府の武士だったのに
それの敵側の明治政府(官軍)の役人になったのは
「忠臣は二君に仕えず」という倫理観にそむいたと
批判していますが
ここに中江藤樹がきたら何と言うでしょう。

勝海舟と榎本武揚の維新後の仕事ぶりを見て
判定したでしょうか。
すなわち
勝海舟も榎本武揚も、明治時代に期待された仕事をしたと判定されたら
是となるでしょう。